説話の中の歌人(2) 

説話には霊験譚というものがあります。観音様は現世のご利益を与えてくださるというので、庶民に愛されました。清水寺の本尊は十一面観音ですから、ここにもさまざまな霊験譚があるのです。
京に住む貧しい女が熱心に清水寺に参詣をし続けました。それでも貧しさに悲運まで重なるありさまで、とうとう観音に向かって恨み言を言うのです。そのまま居眠りをしたところ、夢に現れた人が

    御帳の帷子

をたたんで女の前に置いたところで夢が覚めます。しかしそんなものは役に立たないので放置していると、また夢の中で「ありがたくいただきなさい」と言われます。女がこの御帳を着物に仕立てて着ると、いろいろな人からものをもらうようになり、頼み事も引き受けてもらえるようになり、すばらしい男性と巡り会って幸せで豊かな生活をすることになります。
こういう話がいろいろあるのです。
和歌に関する説話にも神仏とかかわるものがあります。『古今和歌集』撰者の

    紀貫之

が紀伊国から都に帰る途次、和泉国でにわかに馬が動かなくなります。それは蟻通(ありどおし)の神のしわざだというので「かき曇りあやめもしらぬ大空にありとほしをば思ふべしやは」(かき曇ってよくわからない大空に星があると思うことができるでしょうか。事情をよく知らない私がここに蟻通の神がいらっしゃるとどうして知ることができるでしょうか。「ありとほし」は「蟻通」と「ありと星」を掛ける)と詠むと馬が歩き出したという話があります。

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この蟻通の神様(今の泉佐野市の蟻通神社)は前を通る時には下馬を求めるのだそうですが、貫之はそれを知らずに馬に乗ったまま通ろうとしました。そこで神様が罰を下したのですが、貫之は和歌を詠んで神様を感心させて許してもらったのです。能の「蟻通」にもなった話です。こういう、和歌の徳によって困難を切り抜ける話を

    「歌徳説話」

ということがあります。
ちなみに、蟻通の神というのは、『枕草子』「社は」の段にそのいわれが書かれています。昔、帝が四十歳を超える人を憎んで殺したので、みな他国へ逃げてしまいました。ところが親孝行な中将が家の中に穴を掘ってその中に建物を作って七十になんなんとする親を隠します。さて、唐土の帝が日本征服を狙って、

    難題

を出してきます。
難題その一は「削った木の枝のどちらが梢でどちらが根元か」というもの。誰もわからずに困惑していると、中将が隠している親に聞きます。老親は「流れの速い川にその枝を投げ入れて反転して流れる先の方が梢だ」と教え、中央が帝に伝えます。また「同じ長さのヘビのどちらが雄でどちらが雌か」という問いには、老親が「二匹を並べて尾の方に細い若枝を寄せて、尾を動かすのが雌だ」と答え、これも帝に伝えます。そして「くねくねと曲がった玉の真ん中に穴をあけてあるものに紐を通せ」という難題を課せられます。老親は「大きな蟻を捕えて蟻の腰に糸をつけて、穴の反対側に密を塗ればよい」と教え、またも帝に伝え、中将は褒美をやると言われますが、中将は「褒美は要りません。親と一緒に暮らさせてください」と答え、叶えられます。その人(親か中将)が神になったのが蟻通明神だ、というのです。

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