説話の中の歌人(3) 

貫之だけではありません。さまざまな歌人が説話の中に登場します。
『古今和歌集』の歌人で説話がやがて能になる、という意味で同じ経過を辿るものに小野小町の話があります。能の『通小町』はこんな話でした。小野小町の霊が僧の弔いを得た上、受戒しようとすると深草少将の霊がそれを妨げます。少将の霊は「あなたひとりが成仏して私は三途の川に沈んでしまうだろう」と言い、なおも受戒を妨害します。小町の霊がどうしても受戒すると言うと、少将の霊は「自分は煩悩の犬となってあなたにとりついて離れるまい」とまで言います。少将の霊は自分の身の上を明かし、二人は僧の前で

    百夜通い

のありさまを見せます。百日目、小町との祝儀の酒を仏の戒めならやめようという少将の思いが悟りの道に通じて、ついにふたりは成仏することができます。
この話の下地には歌学書の『奥義抄』などに見える「百夜通い」の伝承があるわけです。『卒都婆小町』にも「百夜通い」の話が出てきます。
小町の伝承は能の世界では好んで用いられ、『関寺小町』『鸚鵡小町』『草子洗小町』などがありますが、これらには小野小町が、三河掾になった文屋康秀に誘われた時「誘ふ水あらばいなむとぞ思ふ」と詠んだ(『古今和歌集』)ことを素材にしています。
小町は

    美人

で知られますが、美人ほど老いると零落するというのが常で、彼女は晩年奥州で暮らして、亡くなったあとはその髑髏が野ざらしになっていることになります。

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小町の髑髏に出会うのは在原業平ですが、『今昔物語集』は『伊勢物語』をもとにしていくつかの話を載せています。たとえば有名な「東下り」の話(『伊勢物語』九段)は『今昔物語集』巻二十四の三十五にほとんど同じ内容で見ることができます。その話の次、つまり『今昔物語集』巻二十四の三十六は『伊勢物語』の三つの話をまとめています。業平は東下りをするのですが、それはなぜでしょう。『伊勢物語』の「男」は「身をえうなきものに思ひなして」東国に下っていきますが、たとえば『古事談』巻第二には彼が二条の后(高子)を盗んでその兄弟たちに奪い返された時に

    もとどり

を切られたため、髪を生やさねばならず、時間稼ぎのために「歌枕を見に行ってくる」といって出かけたことになります。女を盗む話は『今昔物語集』巻二十七にも見え(ここでは「二条の后」とは書かれていません)、業平が女を北山科の校倉に隠して守っていたのですが、気がつくと女は何者かに食われて、

    頭と着物だけ

が残っていたという怪異譚になっています。そして、『伊勢物語』の眼目となる和歌(「白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを」)はここには書かれないのです。『今昔物語集』の巻二十七というのは「本朝世俗 付霊鬼」という分類なのです。

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