説話の中の歌人(4) 

こうして説話の中の歌人を書き続けていくときりがないくらいですので、もうひとりだけご紹介しておきます。
私も大好きな歌人である和泉式部です。『百人一首』には「あらざらむこの世のほかの思ひいでに今ひとたびの逢ふこともがな」が入っていますが、ほかに「黒髪の乱れも知らずうちふせばまづかきやりし人ぞ恋しき」「とどめおきて誰をあはれと思ふらむ子はまさるらむ子はまさりけり」「もの思へば沢の螢も我が身よりあくがれ出づる魂かとぞ見る」などあまたの名作を残しています。
『古今著聞集』巻第五(和歌第六)に「和泉式部田刈る童に襖を借る事、ならびに同童式部に歌を贈ること」という話があります。
和泉式部が稲荷(京都伏見)に参詣した時、田中明神(京都市下京区の田中神社)のあたりで時雨に遭い、

    田を刈っていた童

に「あを(襖)」を借りて参詣しました「襖」は上に着る袷の類です。そして参詣からの帰りに返したのですが、その翌日、童が手紙を持ってきました。「時雨する稲荷の山のもみぢ葉はあをかりしより思ひそめてき」(時雨の降る稲荷の山の紅葉は青葉の頃から紅葉することを思っていますが、私はあなたが襖を借りたときから思い慕うようになったのです。「あをかりし」は「青かりし」「襖借りし」を掛ける)とありました。すると和泉式部は「あはれと思ひてこの童を呼びて『奥へ』といひて呼び入れけるとなむ」という行為に出たのです。奥へ入れてどうしたとは書いていませんが、書かなくても

    好色な

和泉式部なのだから童の思いを叶えてやったのだということがわかるのでしょう。

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和泉式部には娘がいます。『百人一首』の「大江山いくのの道の遠ければまだふみもみず天橋立」で知られる小式部内侍です。小式部内侍という人もかなり多くの男性と交渉を持った多情な人だったようですが、出産の後、まだ二十代半ばで亡くなります。そして和泉式部や小式部内侍が仕えた中宮彰子から女房に渡される装束に付けられた「小式部内侍」という

    名札

を見て「もろともに苔の下には朽ちずして埋もれぬ名を聞くぞ悲しき」(娘と一緒に苔の下で朽ちることもなく、こうして埋もれることのない名を聞くのは何とも悲しいことです)という歌を詠むのです。この話は『宝物集』『沙石集』などにも見えて有名です。
和泉式部の名作のひとつ、前掲の「物思へば沢の螢も・・・」は彼女が貴船神社に参詣した時に詠んだものとされます。『後拾遺和歌集』の詞書には「男に忘れられてはべりけるころ貴船に参りて御手洗川に螢の飛びはべりけるを見てよめる」とあり、この歌に対して

     貴船の明神

が返歌をしたことになっています。男の声だったと言います。この奇譚を説話が見逃すはずがありません。『古本説話集』『古今著聞集』その他がこの話を載せています。
こうしてあれこれ調べながら、新年度の一般の方へのお話のネタにしようと思っていました。以前も書いたと思うのですが、ある程度の人数が集まらないとこの講座は実現しないものですから、残念ながら計画は倒れてしまいました。勉強させていただいたのですからありがたいことではありますが。

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