若き日の父(2) 

父の実父は若くして亡くなったそうで、父自身、顔も知らなかったようです。
実母は長生きしましたので、私もよく知っています。祖父母に縁の薄い私にとっては、もっとも長らく話をさせてもらった祖母です。
養子先は父の大叔母にあたる人(この人が養母)の嫁ぎ先だったように思われます。つまり養父は大叔母の配偶者。
養父は明治9年頃の生まれで、父とは50年近くの年齢差がありました。養母は養父より10年ほど年下だったと思われ、40年ほど年の差があったのです。幼少時代、養子については

    何も知らされていなかった

という父は、同級生の両親と比べて自分の親が15年から20年くらい年上であることを不思議に思ったかも知れません。
実は、父は自分がこの二人の実子ではないかもしれないということを薄々知っていたようなことを話していました。何でも、親戚の法事かなにかで自分の席が特別な位置に置かれていて、察したのだそうです。

    子どもの直感

はなかなか鋭いものがあります。
親が高齢であるということは、多くの場合、親と早く別れねばならないということにつながります。養父は昭和17年に亡くなっています。
父が戦争に駆り出されたのはこのあとですから、当時は母子二人きりの家庭だったのかもしれません(詳しいことは不明)。

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養母は子供ができなかったのでしょう。そこで三人男の子が生まれた親戚に、その三人目をもらったということになります(父の次兄は早く亡くなったようですが)。この家は血筋としては私の父方の直接の祖父母の家になるわけです。姓は阿部といい、父は長兄(私の伯父)とは仲よくしていました。伯父は

    東京都世田谷区

在住でしたが、私も何度か行ったことがあります。今もその息子、つまり私の従弟が住んでいます。父と伯父の関係は、三男坊で、事実上は養子先で一人っ子として育てられたやんちゃな父がおっとりとした兄に遠慮なくものを言い、伯父がそれを笑って聞き流しているような感じでした。
さて、父がまだ十代の頃に養父が亡くなり、そのあと召集が来たのですから、養母にしてみれば夫を失い、唯一の後継ぎを戦争に取られたことになります。いったい、どんな思いで二人の男を見送ったのでしょうか。この養母は私が小学校2年生の時に亡くなっていますのであまりよく覚えておらず、昔話などは当然聴いたことはありません。しかし、息子を送り出す日は

    悲痛

な気持ちだったと想像はできます。父は生きて帰ったからよかったものの、出征の時は帰らぬ覚悟はしていたかも知れませんし、養母も最悪のことは考えていたでしょう。
どう考えても戦争などしてはいけないのです。

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