あさがおのかんさつ(4) 

『万葉集』ではあまり目立たない花として「朝顔」(桔梗かムクゲとされる)が詠まれていましたが、平安時代には薬用植物として重宝された新たな「朝顔」が渡来しました。これが、品種改良前ながら、今の朝顔だろうと言われます。
『古今和歌集』に矢田部名実(やたべのなざね)という人の詠んだ「物名歌(もののなのうた。ものの名前を隠して詠み込んだ歌)」があります。

  うちつけに濃しとや花の色を見む
    置く白露の染むるばかりを

唐突に濃くなったものだと花の色を見るのでしょうか。花に置く白露が染めただけなのに。
この歌に「朝顔」が隠れています。どこに? 実は、朝顔の中国名である「牽牛子」を日本風に発音した「けにごし」の形で隠れているのです。最初の部分、和歌としてややぎこちなく感じられませんか。「けにごし」という語を入れようとしたために「うちつけにこし」ともってきたわけですね。
朝顔は、多くはありませんが、他にも平安時代の歌人に詠まれることがありました。

  君来ずは誰に見せまし
    我が宿の垣根に咲ける朝顔の花
     (『拾遺和歌集』秋155 読み人知らず)

あなたがおいでにならかったら誰に見せましょうか。私の家の垣根に咲いている朝顔の花を。朝顔は秋の花ですから、この歌も秋の部に採られています。しかし、朝顔を一緒に見ると言うことは朝早くに同じ場所にいる(一晩、共に過ごす)わけですから、単に秋のきれいな花を共に鑑賞しましょうと言うのではないでしょう。

  ありとても頼むべきかは
    世の中を知らするものは朝顔の花
     (『後拾遺和歌集』317 和泉式部)

生きているからといって、あてになるものであろうか。世の中のはかなさを知らせてくれるのは朝顔の花だ。
実在しているものの不確かさを朝顔のすぐにしぼんでしまう花になぞらえたのでしょう。今咲いていたと思ったのに、というのは、あの人、ついこのあいだまで元気だったのに、という気持ちと通ずるものがあるでしょう。朝顔を詠みながら重みを感じる歌です。

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5月25日(木)
昨夜から雨。一時的に強く降ったので、軒下に置いているとはいえ、今日は水やり不要。ポットDの双葉がきれいに開きました。

5月27日(土)
ポットEが発芽しました。さらにもうひとつポットFにも種まき。もっと発芽しないものかと思っていたのですが、順調なようです。

5月28日(日)
プランターに移した苗のために支柱を立てました。しかしやはり行燈仕立てのようにするのがいいかもと思って、またまた針金ハンガーの古いのを使って支柱を囲むようにして安定させ、麻ひもを何重か巻いて、「行燈仕立てふう」の支柱を作りました。針金ハンガーさまさまです。

5月31日(水)
ポットFも発芽。結局、失敗したのはひとつだけでした。プランターに移したものは伸びてはいますが、まだ支柱に絡むほどは大きくなっていません。

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