若き日の父(3) 

先日出てきた父の戦地からのハガキにはあいにくまったく日付が記されていません。ただ、戦時中のことであることは明らかですし、本文に見られる言葉などから、すべて昭和18年から20年に書かれたものだと思われます。
あるハガキに

    「『歩兵全書』

があつたら御送り(下)さい」という文があるのですが、それについて「昭和十九年刊行の分」と書かれています。またそのハガキには「内地も次第に涼しくなつてくることゝ思ひます」ともありますので、九月頃のものでしょう。とすると、戦争の終わった昭和二十年ではないでしょうから、十九年九月という想定ができます。そして「内地出発以来一ヶ年」とも記されていますので、父は昭和十八年、養父が亡くなって一年後に大陸に行ったものと思われます。
このとき父は「中支派遣第一四三野戦局曉第二九四一部隊内藤部隊齋藤隊」に所属していたようです。このハガキの

    検閲印

は「齋藤」とありますので、この隊長なのでしょう。
このハガキによりますと、病気もせず元気にしていたようですが、昼間は酷暑で夜になると冷えるという気候で、それについては「いやなものです」と言っています。
場所についてははっきり書いていませんが、「中支の江上」と言っています。揚子江の近くだったのでしょう。

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このハガキ、表面の右上が(裏面なら左上)が横2.5cm、縦1.7cmくらい、三角に切られています。そのために一部本文の字が欠けているのです。ただし、この欠字は推測可能で
 お送り(欠)さい
 少時(欠)(欠)沙汰致します
ですから、おそらく「下」「御」「無」の三文字でしょう。
さて、なぜこんな形に切られているのか、私にはよく分かりませんでした。ところがこのハガキの表面に赤字でこんな印刷があり、どうもこれに関係するようなのです。その印刷文とは、

    受取人ハ返信票ヲ切取リ通常葉書ノ表面上部ヘ之ヲ貼リ
    返信トシテ投函スレバ航空機ニヨリ送信サレマス


というものです。
どうやらここにいう「返信票」がハガキの上に印刷されていて、それを切って国内で販売されている通常葉書に貼って投函すると船便ではなく航空便で送ってくれるのでしょう。軍事郵便の優待ということでしょうか。
このハガキは

    陸軍恤兵部発行

の軍事郵便です。陸軍恤兵部(りくぐん じゅっぺいぶ)は慰問の品などを扱う部署で、「恤」は「あわれむ」の意味です。兵隊へのサービス部署なのでしょう。

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