七夕の話 

七夕は旧暦で祝うものです。今の暦の7月7日では意味がありません。
あるとすると、夏休み前の学校の行事くらいでしょうか。
旧暦7月7日は、今の暦に直すと毎年日が変わりますから、わかりにくいです。
今年は

    8月28日

だそうで、かなり遅いです。これは、今年は5月が2回ある、つまり閏5月があるからです。
実は、今がその閏5月で、今日7月7日は閏5月14日にあたります。
七夕は秋のはじめの行事ですが、8月28日ならいくらかそれらしいかもしれませんけどね。
子どものころ、なぜ「七夕」と書いて

  たなばた

と読むのか、不思議でした。
「夕」に「ばた」という訓があるのか、調べたこともありました。
結局、大学生になって本格的に日本文化を学ぶようになるまてわからずじまいだったかもしれません。

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七夕は中国の二星会合伝説(いわゆる織姫牽牛の話)と乞巧奠が日本の棚機つ女の伝承とひとつになって定着したものと言われます。
それで「たなばた」なのか、とわかったときは胸のつかえが下りたようでした。
今日は源氏物語の講座があります。
旧暦で祝うべき、と言いましたが、やはり学校だけにそのころは講座もありません。
やむを得ず、平安時代のたなばたのお話をしておこうと思っています。
源氏物語にでてくる「たなばた」は、

    裁縫の巧みな女性

を例えたり、そういうことを抜きにして、年に一度の出会いを話題にするときに現れたりします。例えば、美男子を見た人が、あんな人となら七夕のように年に一度でいいから会いたい、なんていうわけです。
私、つい先日、似たようなことを言われました!
幼稚園の園長先生が、この催しは年に一度だけだから、たなばたみたいですね、とおっしゃったのです(笑)。それだけのことです。
平安時代には前述の

    乞巧奠

として、裁縫などの技が巧みになるように願うこともしました。
天皇も清涼殿(天皇の常の住まい)の東庭で二星を観ることをしたそうです。
以前ここに書いたことがあると思うのですが、長和四年の七夕の翌日、藤原教通が父の道長に、「昨夜二星会合を観ました。二星がゆっくり近づいて、まず小さな星が飛び、それが戻ると二星が速やかに会合し、雲がそれを覆ったのです」と語りました。道長は「感懐少なからず」と言っています。
今日はこのお話もするつもりです。

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