若き日の父(4) 

私の家のことですし、わずか70年あまり前のハガキのことですので歴史的な価値があるわけでもありません。それだけに、こんなことを書き連ねても興味のない方が大半だとは思いますが、自身の覚書として続けます。
父が養母に出したハガキの差出人の部分を見ますと、所属隊などに違いがあります。軍隊のことはさっぱり解りませんのでどういう順番なのかも厳密なところははっきりしませんが、入来隊、鈴木隊、加藤隊、齋藤隊という所属が伺え、おおむねこの順番に属したのではないかと考えています。
最初に入ったのは入来隊というところだったようで、同隊所属の時期の「陸二」(陸軍二等兵)という肩書きのハガキが四枚あります。そのうちの三枚には「入隊して一週間 十二月初め」「十二月」「紀元二千六百四年正月」とあります。

    紀元二千六百四年

は昭和十九年ですから、ほぼ時期がわかります。おそらく昭和十八年の晩秋あたりに入隊して新年を迎えたのでしょう。
入隊一週間のハガキには、「三寒四温の大陸の気候は時々馬鹿げた様な高温を齎します」「今日もシャツ一枚では暑い位です」「しかし寒いとなれば十二月初めでも既に氷が張る位の寒さです」とあります。馴れない独特の気候で、若いとはいえ大変だったでしょう。
正月を迎えた時のハガキには

    「大陸の戦野

に餅を食べ雑煮を食ひたのしい正月を迎へましたがすぐに猛訓練に入ります」とありました。
やはり正月はそれらしいこともして、休暇もあったのでしょう。
入来隊の時のもう1通のハガキは極めて事務的なもので、「戸籍謄本1通」を送ってほしいというものでした。どういう理由だったのかはわかりません。

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入来隊から鈴木隊に移ったようです。このあたりの軍隊の実情についてはよくわかりませんので、もしご存じの方がいらっしゃいましたらご教示くださいますように。
鈴木隊所属としてのハガキは二通ありました。
やはり「陸二」の身分で書かれたもので「庭の櫻も次第にほころぶ頃でせう」というのがそのひとつです。現地は「正月以来毎日々々雨で太陽の顔を一度仰ぎたい位です」と書いています。おそらく三月頃のハガキですから、昭和十九年のその頃でしょう。このハガキは

    絵はがき

で、なぜかスキーをする人々の写真なのです。そして「山の日の雪にするどきスキーかな(佐海)」「見はるかす檜原の雪やスキー行(羽公)」の句が記されています。作者は武石佐海と百合山羽公のことだと思われます。
もう一通は残念な知らせです。「幹候隊集合教育中体を損ね残念ながら乙種になりました」と記すものなのです。甲種幹部候補生だと将校、乙種だと下士官になるようですので、「将校になつて母上にお会ひすることは出来なくなりました」と書いており、併せて「今後は

    下士官

として御國の為に盡す覚悟です」としています。
「幹候隊集合教育」というのがよくわからないのですが、幹部候補生になるための教育ということでしょうか。その教育を受けている時に体調を崩して甲種になれなかったことを報告しているものと読んでいます。

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