あさがおのかんさつ(5) 

和泉式部は世の中の無常を朝顔の花に喩えましたが、こういう発想は和泉式部だけのものではありません。

  朝顔を何はかなしと思ひけむ
    人をも花はさこそ見るらめ
        (拾遺和歌集・哀傷 藤原道信)

これまで、朝顔をはかないものだと思ってきたが、どうしてそんなことを思ったのだろうか。人間だってはかないじゃないかと花が思って見ているでしょうよ。

  朝顔の花に宿れるつゆの身は
    のどかにものを思ふべきかは
        (新勅撰和歌集 相模)

朝顔の花に宿っている露のようにはかない我が身は、のどかにものを思うこともできないのです。
無常というのではなく、「あっというまに移ろう」ということを人の心に喩えるものもありました。和泉式部より早い時期のものですが、こういう歌があります。『伊勢物語』ですので全文を掲げておきます。

  昔、男、色好みなりける女に逢へりけり。うしろめたくや思ひけむ、
   我ならで下紐とくな
     朝顔の夕影待たぬ花にはありとも
  返し、
   二人して結びし紐を
     ひとりしてあひ見るまではとかじとぞ思ふ
               (『伊勢物語』三十七段)

昔、男が色好みであった女に逢いました。色好みな女だけに気になったのでしょうか、次のような歌を詠んだのです。「私以外の男に対して下紐を解くなよ。夕陽を待たずに移ろう朝顔の花のように、あなたがあっというまに心が変わる人であっても」。すると女は「二人で結んだ紐ですから、今度あなたに逢うまでは一人では解くまいと思っていますよ」。と返事をよこしたのです。
朝顔の花は別に実景でなくてもいいわけで、本文にも何も書いていません。女の家に朝顔があったのだろうというような深読みをすることもないと思います。「朝」というのは、男が帰る頃、というイメージであることは間違いありません。男が帰ったあと、夕方には移ろって(心が変わって)別の男を迎えるようなことはするなよ、というのを朝顔の花に喩えています。女の返歌には「紐」「とく」という男の歌の言葉をそのまま用いていますが、朝顔は詠み込んでいません。

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6月4日(日)

いいお天気ですが、あまり気温は上がりません。行楽日和でしょう。朝顔の生長って、もっとすくすくという感じだと思っていたのですが、なかなかです。こんなものなのか、何かがまずいのか。気になっているところです。

6月8日(木)
最初に植えたものがそろそろ蔓を出して支柱に巻き付いています。
2階の窓辺のものを本葉が出てきたので少し大きめの鉢に植え替えました。

6月10日(土)
快晴で、気温が上昇。室温は32℃くらいまで上がりました。今月はかなり忙しい上、体調不良のために、土日しか満足に観察できません。あとの日は朝の水遣りのときにチラッと眺めるくらいです。観察日記としては不出来なものになってきました。

6月18日(日)
この日も晴れ。梅雨はもう終わったの? 気温がかなり上がって室温は31度を超えていました。蔓が伸びているプランターの朝顔は隣のきゅうりの支柱を侵略していました。2階の窓辺のものは本葉が5枚くらい出ていますが蔓はまだ姿を見せません。

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