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昔の注釈書 

注釈書というのは新しい方が多くの学説を取り入れているという意味で役立つことが多いのですが、古いものもそう簡単には見逃せないことがあります。
学生時代に『古今和歌集』の古注釈を徹底的に読むというゼミがありました。中には荒唐無稽な注釈もあり、また、我田引水のようなものもありました。しかしそれらが時代を映していることもあり、思いがけぬ問題点を指摘していることもあり、目から鱗が落ちるような思いをすることも少なくありませんでした。本居宣長は『古今和歌集』の現代語訳をしています。もちろん

    江戸時代の現代語

です。現代語にすると、その訳者の文学的センスもわかって、なかなか面白いことがあります。
今、私は『源氏物語』の講座で古注釈を使っています。受講者の方にはかえってわかりにくくなるかなと思ったのですが、意外に好評でなのです。今使っているものは主に『河海抄』『花鳥余情』『弄花抄』『細流抄』『岷江入楚』『孟津抄』『湖月抄』あたりで、必要に応じてそれ以外のものも参照する、という形です。
これらの注釈を見ると、古典を読み解こうとした人々の苦心の跡もうかがえますし、この人たちのおかげで現代人は『源氏物語』をわかりやすく読めているように思うのです。室町時代の人たちはさかんに『源氏物語』の講義をおこなって、それを聞いた人がノートをとって

    聞書

を作るということをしています。
私は古賢のようなすぐれた教師ではありませんからおこがましい言い方ですが、私の実施している講座は、形の上では室町時代の『源氏物語』伝授の場を模しているものです。
私は、受講者の方が単にご自身だけで理解してくださるのではなく、ご家庭に帰られてから、「こんな話があったんよ」というような食後の話題にしていただけないものかと思っているのです。そうやって、古典理解の輪が広がらないものかな、とも願っています。
昔の注釈書を書いた先人の皆様方、ありがとうございます。

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