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世を宇治山と 

六歌仙と言われる歌人のうちの喜撰法師という人は『古今和歌集』「仮名序」に「ことばかすかにしてはじめ終はりたしかならず」と評されています。そのように評価できるということは、当時ある程度の歌が伝わっていたのかもしれませんが、その伝記もよく分かっておらず、歌といえばほぼあの有名な作品くらいしか分かっていません。
ところがその一首というのが有名になりすぎるくらい有名で、宇治という土地を特徴付けるような役割も果たしました。

  わか庵は都の辰巳しかぞすむ
     世を宇治山と人はいふなり


「しかぞ住む」という部分を「鹿ぞ住む」と解釈することがあったため、宇治山の絵が描かれる場合は鹿が景物にもなっています。北斎の『百人一首姥が絵解き』でもやはり鹿は欠かせません。実際は「そのように住んでいる」ということなので、動物の鹿は関係ないと思われますが。この歌は何と言っても下の句の「世を宇治山」に魔力があります。
宇治山の「う」に「憂」の意味が響き、憂い人が住むところというイメージが固定したのです。
源氏物語の八の宮も妻を失い、家を失って、この世のつらさを思い知って、ついには自身の山荘のあったこの地にやってきたのでした。そして彼は都にいる異母弟の冷泉院に

    あとたえて心すむとはなけれども
世を宇治山に宿をこそ借れ


という歌も詠み送ってもいます。もちろんこの歌の下の句には喜撰法師の歌が下敷きにされているのです。
別荘地でもあるのですが、ここで暮らすのはやはり何か特別な理由があるからでしょう。
京都の西の嵯峨のあたりも別荘地であると同時に隠棲する場でありました。光源氏も晩年は嵯峨で暮らしたことになっています。
宇治川の音を立てて流れる水も、別荘地として舟遊びをするならともかく、ここで暮らすと胸に響くものがあったようです。

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