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俤源氏物語(2) 

新作浄瑠璃については概して専門家はあまり評価しない傾向にあります(『文楽 六代豊竹呂太夫』p181以降にも書きました)。
『俤源氏物語』が上演された公演(昭和26年3月)のプログラムにも、辻部政太郎氏(関西演劇ペンクラブ員)が「新作への努力も、頭から否定はしないが、文楽の人形浄瑠璃のような既に古典として固まつたものに、新作で成功する場合は、稀有のことである。」と述べています。辻部氏はこの『俤源氏物語』についても「それだけでまとまつている抒情的な夕顔の巻の件りを選んだことは賢明であり、いつもの新作物よりは、若干の期待がもてる」と、期待しているようなやはりしていないような書き方をされています。
以下、あらすじを書いておきます。なお、プログラム所載の「床本」では「夕顔の宿の段」を「五條夕顔の宿の段」としています。

夕顔の宿の段
 都の五条の町裏に主が誰ともわからないような、夕顔の咲いている住居があります。「降三世、軍荼利夜叉、大威徳、金剛夜叉、なまくさまんだはさらばた」という法の声が聞こえて、光源氏の乳母で隣家に住む大弐尼と阿闍梨が現れます。大弐の尼は、夕顔の侍女である右近に向かって「あやしい気配があり、高貴な人の生霊かと思われるので、修法をおこなった、もう安心なので、夕顔殿のところに通って来る男性には内密になさいませ」と言って、阿闍梨とともに去って行きます。夕顔は物思いをしながら、「いつぞやの夏の夕暮れに、夕顔の花をきっかけにやりとりをした人と、その後枕を交わすようになった。どなたともお名前を明かされないのであの人は妖怪変化ではないか。それでも高貴な人としか思えず、もしこのままお通いが絶えたら、どうやって訪ねていけばいいのだろう」と泣き沈んでいます。
そんなとき、光源氏の家来の惟光がやってきました。惟光は「今夜も殿(光源氏)のおいでです。しかし、何か子細があって、近くの河原院にいらしてほしいとのことです。殿がお待ちです」と誘います。夕顔はこのあとの運命も知らずに出ていくのでした。

道行蟲づくし
秋の虫が鳴く中を光源氏と夕顔は同車して河原院に着きます。

河原院怨霊の段
霧が深々と立ちこめる中、荒れ果てた河原院で光源氏は夕顔と二人きりになります。夕顔は「あなたは間違いなく光源氏の君ですね」と言いつつ、その高貴な人に釣り合わぬわが身を恨めしく思います。しかし光源氏は「今はそなた一人を思っている」と伝え、やがて二人は夢の世界に入って行きます。
そのとき、山颪が吹き、稲妻が光り、雷が鳴ります。灯火が消えると、たいそう美しい高貴な女性の姿が「われこそは六条の御息所の怨霊なり」と言って現れました。嫉妬に燃えて苦しみ、浮気な人を思うと憎らしく腹立たしく、呪いの念が深く、こうなったら鬼とでも蛇とでもなればいい、思い知れ、とばかりに床を踏み鳴らしては荒れ狂います。
しかし、駆け付けた惟光が弦打ち(弓の弦を打って魔性のものを退散させるまじない)をすると執念深い怨霊もやがて消え去りました。
御息所の怨霊に責めさいなまれた夕顔は、息も絶えて倒れています。光源氏は抱き上げて頬をすり寄せ、悲嘆の涙にくれますが、もはやこと切れていました。
侍女の右近が、胸騒ぎがして駆けつけてきました。惟光は右近に、嘆くことなく髪を下ろして夕顔の菩提を弔うように言います。
光源氏は、「このことが世上に伝わったら口さがない京童(きょうわらべ。口さがないことで知られていた)の噂の種になるだろう。そなた(惟光)の兄の阿闍梨が東山に住むと聞くがその人を頼んで野辺の送りをすることにしよう」と言って車を呼び寄せます。こうして夕顔の亡骸は鳥辺野を指して行くのでした。
明日と明後日は、若干の私見を述べます。

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