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もうひとりの松王丸 

文楽ファンなら「松王丸」の名を知らない方はいらっしゃいません。『菅原伝授手習鑑』に登場する、四郎九郎(改名して白太夫)の子。梅王丸、桜丸とは三つ子の兄弟。悪人の時平の舎人となったために親兄弟と不仲になります。「車曳」「佐太村」「北嵯峨」「寺子屋」などで活躍しますが、中でも「寺子屋」では、主人を思って苦悩する武部源蔵のもう一つ上を行く苦しみを味わう人物として描かれ、観客の涙を誘います。あまりにも評判の作になったために、増補ものの「松王下屋敷」も書かれました。これは、「北嵯峨」から「寺子屋」の間に松王丸と妻の千代がいかにして菅秀才の身代わりに我が子を立てるに至ったかを、両人の苦悩と小太郎(身代わりになる子)の覚悟などが描かれるものです。
……というようなことは、釈迦に説法。今さらここに書くまでもないことなのです。
ところで、この松王丸と同じように悲劇的な人物として、まったく時代の異なる「もうひとりの松王丸」がいます。
ときは平家専横の頃。平清盛は福原(神戸市)の地に

    大輪田の泊

を修築して日宋貿易を盛んにしようと考えました。大輪田の泊はすばらしい港だったのですが、高波などで苦しむこともありました。そこで彼は防波堤の役割をする人工島を造ろうと考えたのです。しかし工事はうまくいきませんでした。そこで、占いを行わせた結果、人柱を建てるとよいということになったのです。清盛は旅人などを捕えて人柱にしようとしました。まったく、権力者のすることと言ったら、目的のためには庶民の命などどうでもいいのですね。いつの時代も変わりません。
そのとき、清盛の小姓であった松王丸という者が、自分が人柱になるからほかの者を巻き添えにしないでほしいと嘆願して、結局この小姓が人柱となって命を落としたのだそうです。
神戸市兵庫区島上に

    来迎寺(築島寺)

というお寺があります。この寺は小姓の松王丸を供養するために建てられたと伝わり、境内には彼の供養塔があります。
ついでながら、この寺には清盛の愛妾となったもののやがて忘れられる祇王とその妹の祇女の供養塔もあります。
私が清盛の小姓の松王丸のことを知ったのは今から25年近く前に『名月乗桂木』という新作浄瑠璃を書いた時です。拙作は能勢と尼崎に残る「名月姫」の伝承を下敷きにしているのですが、尼崎に伝わる話になんとこの松王丸が登場するのです。名月姫が能勢家包という人物に連れ去られた後、父の三松国春があちこち探しまわったときに、大輪田の泊の人柱のために捕らえられ、そのことを夢のお告げで知った名月姫が福原まで行くと、松王丸が親子の恩愛に打たれて身代わりになったという話があるのです(能勢の伝承には出てきません)。
この松王丸のことは『名月乗桂木』を書いた時に知ったと申しましたが、実はそれ以前に学生のころ私はここを訪ねたことがあったのです。神戸には清盛関係の遺跡がいくつもありますので、それを訪ねてのことでした。しかし松王丸の記憶はぼんやりしたものになってしまい、『名月乗桂木』のときに再会して調べているうちに「あれ、ここはひょっとして学生時代の・・」ということになったのです。物忘れの激しいのは昔からだったようです。

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