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源氏物語「少女」(3) 

夕霧の学問は順調に進んでいます。その一方で、光源氏一家と右大将(かつての頭中将)一家の間に新たな波風が立とうとしています。

かくて、后ゐたまふべきを、「斎宮女御をこそは、母宮も後見と譲りきこえたまひしかば」と、大臣もことづけたまふ。源氏のうちしきり后にゐたまはむこと、世の人許しきこえず。「弘徽殿の、まづ人より先に参りたまひにしもいかが」など、うちうちにこなたかなたに心寄せきこゆる人びと、おぼつかながりきこゆ。兵部卿宮と聞こえしは、今は式部卿にて、この御時にはましてやむごとなき御おぼえにておはする、御女、本意ありて参りたまへり。同じごと、王女御にてさぶらひたまふを、「同じくは、御母方にて親しくおはすべきにこそは、母后のおはしまさぬ御代はりの後見に」とことよせて、似つかはしかるべくとりどりに思し争ひたれど、なほ梅壺ゐたまひぬ。御幸ひの、かく引きかへすぐれたまへりけるを、世の人おどろききこゆ。

このようなことがあって、また、后がお立ちになるはずだが、「斎宮の女御を、亡き母宮(藤壺)も帝のお世話役にとお譲り申していらっしゃったことだから」と、大臣(光源氏)も藤壺の意向を尊重なさる。ただ、源氏(皇族の系統)が引き続いて后にお立ちになることは、世の人も納得しかねている。弘徽殿女御が誰よりも先に入内なさったことはどうなるのか、などと、内々に斎宮女御方、弘徽殿方にそれぞれ心をお寄せしている人たちは気をもんでいる。兵部卿宮と申しあげた方は、今は式部卿で、今の御代には以前にもまして帝のご信任が篤くていらっしゃるのだが、その姫君がかねてからのお望みのように入内なさった。斎宮の女御と同じように王女御(皇族出身の女御)として伺候なさるので、「同じ王女御なら、帝とは母方の緑でつながるので親密でいらっしゃるはずだ。母后がいらっしゃらないので、その代わりのお世話役にということで似つかわしいだろう」と、それぞれの思いを抱きながら競われたのだが、やはり梅壺女御が立后なさった。そのご幸運がこのように母君とは違ってすぐれていらっしゃったことを世の人は驚き申している。

話が変わって、立后のことになります。藤壺中宮が亡くなって、冷泉帝の中宮を立てる必要が出てきました。皇族出身者から続いて后が出るのはおかしいから、次は藤原氏の后だ、と、弘徽殿女御側は思っています。藤壺中宮は源氏ではありませんが皇族なので、源氏と同じ立場です。このたびも光源氏の養女である斎宮女御が立后するのは異例だというわけです。この問題は、いずれ明石女御(光源氏の娘)が立后するときにも議論になります。弘徽殿女御は何と言ってもいち早く入内していますし、帝の寵愛も厚い人ですから、彼女が立后してもおかしくないことは言うまでもありません。また、かつての兵部卿宮(藤壺の兄)が娘を入内させていて、帝から見ると母の兄の娘という近さですから、斎宮女御が立后するくらいなら、こちらの方がふさわしい、というわけです。こうして、光源氏、右大将(かつての頭中将)、式部卿宮の競い合いがあったのですが、ついに光源氏方の斎宮女御が中宮となりました。以後は秋好中宮と呼ぶことにいたしましょう。新中宮は母の六条御息所に比べて幸せな人だと世間の誰もが噂をしています。六条御息所は大臣の家に生まれて春宮に入内しながら、男子を産むことのないまま、まだ若かったはずの春宮に先立たれ、その後光源氏の愛人のような立場に置かれた挙句、葵の上との車争いがあり、出産間際の葵の上を生霊となって苦しめ、娘に同行して伊勢に下向しました。やっと都に戻ったと思ったら、あえなく命を落としたのでした(葵、賢木、澪標巻など)。

大臣(おとど)、太政大臣(だいじやうだいじん)に上がりたまひて、大将、内大臣になりたまひぬ。世の中のことどもまつりごちたまふべく譲りきこえたまふ。人がら、いとすくよかにきらきらしくて、心もちゐなどもかしこくものしたまふ。学問を立ててしたまひければ、韻塞ぎ(ゐんふたぎ)には負けたまひしかど、公事にかしこくなむ。腹々に御子ども十余人、おとなびつつものしたまふも、次々になり出でつつ、劣らず栄えたる御家のうちなり。女は、女御と今ひとところなむおはしける。わかむどほり腹にて、あてなる筋は劣るまじけれど、その母君、按察使大納言(あぜちのだいなごん)の北の方になりて、さしむかへる子どもの数多くなりて、「それに混ぜて後の親に譲らむ、いとあいなし」とて、とり放ちきこえたまひて、大宮にぞ預けきこえたまへりける。女御にはこよなく 思ひおとしきこえたまひつれど、人がら、容貌など、いとうつくしくぞおはしける。

源氏の大臣は太政大臣にお昇りになって、大将が内大臣になられた。世のまつりごとをお執りになるように、実務をお譲り申し上げなさる。この内大臣のお人柄はとても剛直で、派手なことを好まれ、心遣いなども賢明でいらっしゃる。学問をことに熱心になさったので、かつて韻塞ぎでは(光源氏に)お負けになったが、政治に関しては賢人なのである。何人もの女性との間にお子様が十人余りあって、成長なさった方は次々に出世されて(光源氏の家に)劣らず栄えたご一族である。娘としては、弘徽殿女御ともうおひとりいらっしゃった。王族の女性のお産みになった人で、高貴な家筋という意味では(女御に)劣るまいけれど、その母君は按察使大納言の北の方になって、そちらでの子どもの数が多くなって、その中に一緒にして義理の父に任せるのはまったく不都合だというので、母親からお離しして大宮にお預け申し上げなさったのであった。(内大臣は)女御に比べるとひどく軽くお扱いになるのだが、そのお人柄やお顔立ちなどはとてもかわいらしくていらっしゃるのであった。

「薄雲」巻で光源氏は太政大臣になるのを辞退していました。太政大臣というのは大臣の中では別格で、高潔で規範となるべき人だけが任じられる(だから、適任者がなければ任じられない)官職です。それだけに、任命されようとした場合、辞退するのが常識で、それでも、どうしても、といわれたときに初めて受けるものでした。光源氏はついにそれを受け、内大臣の位は右大将(かつての頭中将)に譲ります。新内大臣は一本気な性格で曲がったことが嫌い。また華やかなところがあります。こういう彼の性格はかつて「絵合」巻で必死になって光源氏に対抗していたところにもよく表れていました。のちに「柏木」と呼ばれる長男をはじめとして子だくさんで、薄眼はその中で二人だけ。一人は弘徽殿女御ですが、もうひとり、「わかんどほり(王の系統の人)」の生んだ子がありました。ところがこの母親が按察使大納言の北の方になったため、娘の立場が微妙になってしまいました。あちらの子どもたちと一緒になると、何かと面倒なことも起こりかねないので、内大臣は引き取って大宮(内大臣の母)に預けることにしたのです。内大臣は女御かわいさのあまり、この子についてはやや軽く扱うところがありました。しかし、この娘は性格も顔立ちもとてもかわいらしいのです。これがのちに「雲居雁」と呼ばれる人です。

冠者(くわざ)の君、一つにて生ひ出でたまひしかど、おのおの十に余りたまひて後は、御方ことにて、「むつましき人なれど、男子(をのこご)にはうちとくまじきものなり」と、父大臣聞こえたまひてけどほくなりにたるを、幼心地に思ふことなきにしもあらねば、はかなき花紅葉につけても、雛遊(ひひなあそ)びの追従(ついしよう)をも、ねむごろにまつはれありきて、心ざしを見えきこえたまへば、いみじう思ひ交はして、けざやかには今も恥ぢきこえたまはず。

冠者の君(夕霧)は同じお邸でお育ちになったのだが、それぞれが十歳をお過ぎになってからは、お部屋は別になって「親しい人であっても、男子には馴れ馴れしくすべきではないものだ」と父大臣が申し上げなさって、疎遠になってしまったが、子ども心にも慕う気持ちがないわけではないから、ちょっとした花や紅葉につけても、人形遊びでご機嫌を取るのにも、一生懸命おそばにいて、思いのほどをお示しになるので、お互いに思いを寄せ合って、(雲居雁は)はっきりとは恥じるような様子をお見せにはならない。

再び夕霧の登場です。内大臣の娘の雲居雁は祖母の大宮のもとで育てられましたから、夕霧とはいつも一緒にいた、従姉弟(このとき雲居雁は十四歳、夕霧は十二歳)、というよりは幼馴染なのです。しかし何ごとにも厳しい内大臣は、十歳を超えた男女が、いくら親しい間柄だと言っても一緒に暮らすのは間違いだ、と主張したため、部屋は別々になってしまいました。
しかし、夕霧はこの従姉が気になってしかたがなく、何かの折にはあとを付け回すようにして恋心をそれとなく示していたのです。それに対して雲居雁も逃げ隠れするようなことはありません。この最後の部分について『岷江入楚』は「父おとゝはけとほくとおほせとひとつ所なれはおのつから今もみかはし給ふなり(父大臣はけ遠くと思せど、ひとつところなれば、おのづから今も見交はしたまふなり)」と言っています。

御後見どもも、「何かは、若き御心どちなれば、年ごろ見ならひたまへる御あはひを、にはかにも、いかがはもて離れ はしたなめはきこえむ」と見るに、女君こそ 何心なくおはすれど、男は、さこそものげなきほどと見きこゆれ、おほけなく、いかなる御仲らひにかありけむ、よそよそになりては、これをぞ静心なく思ふべき。まだ片生ひなる手の生ひ先うつくしきにて、書き交はしたまへる文どもの、心幼くて、おのづから落ち散る折あるを、御方の人びとは、ほのぼの知れるもありけれど、「何かは、かくこそ」と、誰にも聞こえむ。見隠しつつあるなるべし。

お世話をする女房たちも「まあまあ、まだどちらも子どものようなお心なのですから、長年親しくして来られたご関係なのに、どうして突然疎遠になってばつの悪い思いをおさせするものでしょうか」と様子を見ていたが、女君のほうは無邪気でいらっしゃるのだが、男君はいかにも半人前のようにお見えになっていても、そのお歳に不相応なほどに何かお二人の間にあったのだろうか、疎遠になってからは落ち着いてなどいられるものだろうか。まだふじゅうぶんではあるが将来が楽しみな筆跡で書き交わされたお手紙が、まだ子どもだけに、自然とそのあたりに散らかってしまうこともあるので、姫君の女房たちはそれとなく知っている者もあったのだが、どうして「こんなことがありました」と人に言えようか、と見て見ぬふりをしているようである。

女房たちの目から見ると、まだ子どものような二人なのです。しかし雲居雁よりも夕霧の方が何やら行動を起こしたようです。「女君」「男」という言葉が出てきますが、こういう表現は物語の中では二人の人物が親密な男女関係にある場面で用いられることが多いのです。つまり、もはや子ども同士ではなく、「男と女」になっていることを暗示します。「おほけなくいかなる御仲らひにかありけん」は直訳すると「分不相応に、どういうご関係になったのだろうか」ということですが、まだ分別のない年ごろなのにいつのまにか深い関係になっていた、という意味深長な一節です。『岷江入楚』はこの部分について「夕霧雲居雁のあひたる事おもはせて書けり」(夕霧と雲居雁が男女関係になったことを匂わせて書いている)と言っています。ぼんやりしている女房たちに比べ、内大臣の予感は的中していたことになります。そういう関係になっているだけに、二人は引き離されて落ち着いた心ではいられないのです。恋文も交わしたのですが、それはしばしば女房の目に触れることがありました。さすがに女房の中には事情を察するものもいたのですが、まさか「一大事です」とご注進に及ぶわけにもいかず、知らん顔を決め込んでいます。

所どころの大饗(だいきやう)どもも果てて、世の中の御いそぎもなく、のどやかになりぬるころ、時雨うちして、荻(をぎ)の上風(うはかぜ)もただならぬ夕暮に、大宮の御方に内大臣(うちのおとど)参りたまひて、姫君渡しきこえたまひて、御琴など弾かせたてまつりたまふ。宮はよろづのものの上手におはすれば、いづれも伝へたてまつりたまふ。「琵琶こそ女のしたるに憎きやうなれど、らうらうじきものにはべれ。今の世にまことしう伝へたる人、をさをさはべらずなりにたり。何の親王(みこ)、くれの源氏」など数へたまひて、

それぞれの大臣の大饗も終わって、朝廷に関する行事のご準備もなくのんびりとしていたころ、時雨がさっと降って荻の上風も風情豊かな夕暮れに大宮のところに内大臣が参上なさって、姫君をそちらにお呼びになって楽器をお弾かせ申し上げなさる。大宮はあらゆる楽器の名人でいらっしゃるので、すべてご伝授申し上げなさる。「琵琶というのは女が弾くと憎らしく感じられるものですが、うまく弾くと魅力のあるものです。今の世でその奏法を正しく伝えている人はほとんどいなくなってしまったのでございます。何々親王やなにがしの源氏・・」などを数えなさって、

大臣が任ぜられると「任大臣大饗」という催しがあります。大臣になりましたという披露宴のようなものです。光源氏が太政大臣に、右大将が内大臣になりましたので、その両者(ところどころ)で大饗がおこなわれたのです。それも終わり、宮廷行事もさほど忙しくない頃、内大臣が大宮のところにやってきます。例によって、自然描写が状況を暗示します。時雨がさっと降って荻の葉の上を吹く風も心をゆるがすかのような夕暮れです。この「荻の上風もただならぬ」は「秋はなほ夕まぐれこそただならね荻の上かぜ萩の下露」(義孝集)を引く表現です。内大臣は雲居雁を呼んで楽器を演奏させます。大宮があらゆる楽器に通じた人で、雲居雁もそれを教わっていますので、上達ぶりを聴いたのでしょう。内大臣は、琵琶について語り始めます。琵琶は演奏するときの楽器を抱える格好が女性に向かないと考えられたようで、『宇津保物語』「初秋」も「女のせむに、うたて憎げなる姿したるもの」と言っています。それでも音色は「らうらうじきもの」だと言います。「らうらうじ」は「物馴れていて巧みだ」という意味ですが、そこから「洗練されている」「気が利いている」「魅力がある」などの意味を持つようになります。誰が弾いても同じなのではなく、うまい人が弾くと深みがある楽器なのでしょう。だからこそ今はあまり名手がいなくて、内大臣は指折り数えてみると「何とかの親王」「源の誰それ」などが思い浮かんだのです。この部分、「何くれ」ということばを分けて「何の親王、くれの源氏と言っています。

「女の中には、太政大臣の山里に籠め置きたまへる人こそいと上手と聞きはべれ。物の上手の後にはべれど、末になりて、山賤(やまがつ)にて年経たる人の、いかでさしも弾きすぐれけむ。かの大臣、いと心ことにこそ思ひてのたまふ折々はべれ。こと事よりは、遊びの方の才はなほ広う合はせ、かれこれに通はしはべるこそ、かしこけれ、独り事にて、上手となりけむこそ珍しきことなれ」などのたまひて、宮にそそのかしきこえたまへば、「柱(ぢう)さすことうひうひしくなりにけりや」とのたまへど、おもしろう弾きたまふ。「幸ひにうち添へて、なほあやしうめでたかりける人なりや。老いの世に持たまへらぬ女子(をむなご)をまうけさせたてまつりて、身に添へてもやつしゐたらず、やむごとなきに譲れる心おきて、こともなかるべき人なりとぞ聞きはべる」など、かつ御物語聞こえたまふ。

「女の中では、太政大臣(光源氏)が山里に隠していらっしゃる人こそたいそうすぐれていると聞いています。名人の子孫ではございますが、末流になって山奥に暮らして何年も経つ人がどうしてそのように巧みに弾いたのでしょうか。あの大臣は、とても格別なものと思ってそうおっしゃる折々がございます。ほかの技芸に比べて、音楽の技というのはいろいろな人と合奏してうまく合わせることが大切なのです。それを独学して名手となったとかいうのは珍しいことです。などとおっしゃって、大宮に琵琶をお勧めになると、「柱をさすことも億劫になってしまいました」とおっしゃりはするのだが、すばらしくお弾きになる。「(明石の君は)幸いなこともあったうえにやはり不思議なほど立派な人なのでしょうか。(光源氏が)お年を召されるまでお持ちになれなかった娘をお産み申し上げて、自分のそばに置いてみじめに育てるのではなく、高貴な人に譲る心がけは落ち度もない人だと聞いております」などと、演奏しながらお話し申し上げなさる。

男性では○○親王などの名前を思い浮かべた内大臣ですが、女性で琵琶を弾く人としては第一に光源氏が隠し住まわせているあの女性を挙げています。もちろん大堰にいる明石の君のことです。明石の君の父(明石入道)は、音楽の奏法を醍醐天皇の三代目として伝えていることが「明石」巻に記されています。しかしそういう家柄であっても、衰えた家であり、奏法の伝承についてもすでに末流になっていて、さらに長らくの明石住まいで洗練されているはずがないと思われるのに、なぜすぐれているのか不思議だと内大臣は思っています。光源氏も普段から明石の君の琵琶については自慢げに語っているようです。本来、音楽というのは合奏することでうまくなっていくものなのに、独学で名手になったのは奇特なことだと内大臣は引き続き語ります。そして大宮に琵琶の演奏を勧めると大宮は遠慮しながらも弾き始めます。そして明石の君について女の子を産むという幸いを持っただけでなく、その子を紫の上に預けるという賢明なことをした点について称賛しています。なお大宮は明石の君に対して敬語は使っていません。光源氏の子を産んだ人とはいっても、大宮(内親王で桐壷帝の妹)の目から見るとやはり播磨守(明石入道)の娘など、身分の低い人に過ぎないのです。

「女はただ心ばせよりこそ世に用ゐらるるものにはべりけれ」など、人の上のたまひ出でて、「女御を、けしうはあらず、何ごとも人に劣りては生ひ出でずかしと思ひたまへしかど、思はぬ人におされぬる宿世になむ世は思ひのほかなるものと思ひはべりぬる。この君をだにいかで思ふさまに見なしはべらむ。春宮の御元服、ただ今のことになりぬるをと、人知れず思うたまへ心ざしたるを、かういふ幸ひ人の腹の后がねこそ、また 追ひ次ぎぬれ。立ち出で たまへらむに、ましてきしろふ人ありがたくや」とうち嘆きたまへば、

「女というのは人柄次第で世間で重んじられるものだったのですね」などと人の噂を言い出されて「(弘徽殿)女御を悪いところもなく何ごとについてもほかの人に劣って成長したということはないものと思って参りましたが、思いがけない人に圧倒されてしまった運命で、世の中は思いがけないことになるものだと感じたのでした。せめてこの姫君(雲居雁)は何とかして期待どおりになってほしいものと思っています。春宮の御元服がもう近いことになりましたので、と、ひそかに考えてそういうつもりになっているのですが、今申しました幸運な人(明石の君)のお産みになった后になられそうな人がまた追いついてきました。もし入内なさったら、まして張り合う人はめったにいないことでしょう」とため息をついていらっしゃると、

内大臣は、娘の弘徽殿女御が秋好中宮に先を越されたことを悔やんでいます。何も劣るところのない娘なのに、と娘自慢の父親ならではの考え方です。実際、弘徽殿女御は帝との仲もよく、家柄も問題ないわけですから、彼の考えは間違っているわけではないのですが。その長女の不運を、侍女である雲居雁にはみせたくない、と思う内大臣は、春宮(朱雀院の皇子。母は承香殿女御)に入れようともくろんでいるようです。このとき春宮は九歳で、雲居雁より五歳年少ですが、不釣り合いではないでしょう。しかし、明石の君の生んだ姫君(後の明石中宮)の存在が気になります。数年中に春宮は元服すると見込まれます(実際には二年後に元服)から、雲居雁はそのとき十代後半、明石の姫君はこの時点で八歳です。雲居雁が春宮の元服と同時に入内すると、明石の姫君は少し遅れるでしょうが、光源氏の実子で紫の上の養女ですからまた追い抜かれることになりかねないのです。

「などかさしもあらむ。この家にさる筋の人出でものしたまはで止むやうあらじと、故大臣の思ひたまひて、女御の御ことをもゐたちいそぎたまひしものを。おはせましかば、かくもてひがむることもなからまし」など、この御ことにてぞ太政大臣(おほきおとど)をも恨めしげに思ひきこえたまへる。姫君の御さまの、いときびはにうつくしうて、箏の御琴弾きたまふを、御髪(ぐし)のさがり、髪ざしなどの、あてになまめかしきをうちまもりたまへば、恥ぢらひて、すこしそばみたまへるかたはらめ、つらつきうつくしげにて、取由(とりゆ)の手つき、いみじう作りたる物の心地するを、宮も限りなくかなしと思したり。掻きあはせなど弾きすさびたまひて、押しやりたまひつ。

「どうしてそんなことがあってよいものか。この家からそういう筋の人(中宮)が出ないはずがないと故大臣もお考えで、(弘徽殿)女御のことも何かとご準備になっていたのに。もしご存命であればこのような非道なことにはならなかったでしょうに」など、このことについてだけは太政大臣(光源氏)に対して恨めしげにお思いになっている。姫君(雲居雁)のご様子が子どもっぽくてかわいらしく、筝の琴をお弾きになるのだが、そのときの髪の下がり端(さがりば)や髪のかっこうなどが上品でみずみずしいのを(内大臣が)じっとお見つめになっていると、恥ずかしがって少し横を向かれたその横顔がとてもかわいらしげで、「取由」(筝曲の技法のひとつ。右手ではじいた絃を左手でつまんで動かすようにする)の手つきが巧みにこしらえた人形のような感じがするのを、大宮もこのうえなくいとしいとお思いになっている。掻き合わせ(調子を合わせるための小曲)などを形だけお弾きになって筝を押しやりなさった。

大宮は光源氏に対して何の恨みも不満もないのですが、このたびの立后のことについてはさすがに恨めしく思っています。亡き夫(前の太政大臣)が生きていたらこんな筋の通らないこと(弘徽殿女御を差し置いて斎宮女御=秋好中宮を立后させるようなこと)はさせなかったのに、と。そういう思いを抱きながら、雲居雁の琴を弾く姿を見るとまことにかわいらしく、内大臣も大宮もこの子なら、と期待をかけているのでしょう。

大臣、和琴ひき寄せたまひて、律の調べのなかなか今めきたるを、さる上手の乱れて掻い弾きたまへる、いとおもしろし。御前の梢ほろほろと残らぬに、老い御達など、ここかしこの御几帳のうしろに、かしらを集へたり。「風の力蓋し寡し」と、うち誦じたまひて、「琴(きん)の感ならねど、あやしくものあはれなる夕べかな。なほ、あそばさむや」とて、「秋風楽」に掻きあはせて、唱歌したまへる声、いとおもしろければ、皆さまざま、大臣をもいとうつくしと思ひきこえたまふに、いとど添へむとにやあらむ、冠者の君参りたまへり。

内大臣は和琴をお引き寄せになって、律(りち)の調べのかえって当世風のものをこの方のような名手がくだけた感じでお弾きになっているのはとてもおもしろい。御前の梢がはらはらと残らず散って、老いた女房たちはそこかしこの御几帳の後ろで頭を揃えている。「風の力蓋(けだ)し寡(すくな)し」と口ずさまれて、「『琴(きん)の感』ではないのですが、不思議にしみじみと悲しい夕暮れですね。もう少しお弾きになりませんか」とおっしゃって、秋風楽に調子を合わせて曲の旋律を口ずさまれるお声はとても素晴らしいので、(大宮は)それぞれに、内大臣をもとてもいとおしいものだとお思い申し上げなさると、さらに花を添えようというのであろうか、冠者の君が参上なさった。

内大臣は和琴の名手ということになっています。和琴は日本でできた六弦の琴です。それを手元に引き寄せて、内大臣は即興のような演奏をします。老い女房たちは頭を寄せ合うようにして聴いています。老い女房ですから、内大臣がまだ若いころ、あるいは子どものころから知っている者かもしれません。内大臣が口ずさんだ「風の力蓋し寡し」というのは「落葉は微風を俟ちて以て隕(お)つ。風の力蓋し寡し(落葉はわずかな待って落ちる。風の力はおそらく少ないのだ)」」(『文選』)によるものです。続く「琴の感」も同じ『文選』の一節で「孟嘗は雍門に遭ひて泣けり。琴の感は以て未だし」によります。内大臣は雲居雁にもう少し演奏しましょうと勧め、「秋風楽」という曲に合わせてメロディを口ずさんだりしています。大宮はわが子の内大臣、孫の雲居雁を見て目を細めています。内大臣がじっと見つめている場面は彼の心理がよく描かれているでしょう。それにしても、一家のとてもいい雰囲気が描かれています。そこに入ってきたのが夕霧でした。これは実にうまく書かれていると思います。大宮も内大臣も目の前にいるかわいらしい娘をゆくゆく春宮に入内させ、次の中宮にしようと夢見ているわけですが、その幸せな空気を一変させるように夕霧が現れるのです。あたかも彼らの夢を打ち砕くためにやってきたかのように。

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