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源氏物語「少女」(8) 

夕霧は十二歳の少年ですが、光源氏に当てはめると、葵の上との結婚の成立した年齢なのです。大体当時の貴族男子が元服するのは十二~十六歳くらいですから、そろそろ最初の結婚があってもおかしくはないのです。
そんな夕霧に、雲居雁の形代とはいえ、新しい恋愛が起こるかもしれません。雲居雁は内大臣の娘という超一流の家柄の娘ですが、こちらは受領の娘。まったく身分が違いますから、違った進展があるかもしれません。

やがて皆とめさせたまひて、宮仕へすべき御けしきありけれど、このたびはまかでさせて、近江のは辛崎(からさき)の祓(はらへ)、津の守は難波と、いどみてまかでぬ。大納言もことさらに参らすべきよし奏せさせたまふ。左衛門督、その人ならぬをたてまつりて、咎めありけれど、それもとどめさせたまふ。津の守は、「典侍(ないしのすけ)あきたるに」と申させたれば、さもやいたはらまし、と大殿も思いたるを、かの人は聞きたまひて、いと口惜しと思ふ。わが年のほど、位など、かくものげなからずは、請(こ)ひ見てましものを、思ふ心ありとだに知られでやみなむこと、と、わざとのことにはあらねど、うち添へて涙ぐまるる折々あり。

そのまま舞姫たちを皆おとどめになって宮仕えするようにという帝のご内意があったのだが、このたびは退出させて、近江守の娘は辛崎の祓、摂津守の娘は難波の祓、と張り合うように退出した。(按察使)大納言も改めて参入させることを奏上なさる。左衛門督は決めていた人でない娘を差し出したので、お咎めがあったのだが、それも内裏におとどめになる。摂津守は、「典侍が欠員ですから」と願い申し出たので、そのように世話をしてやろうか、と源氏の大殿もお思いになったのを、あの君(夕霧)はお聞きになって、とても残念だと思う。自分の年齢や位がこんなに頼りないものでなかったら、願い出て自分のものにしようものを、慕う気持ちがあるということすら知られないで終わるとは、と、どうしてもということではないけれど、(雲居雁のことに)加えて涙ぐまれることがしばしばある。

帝は、五節の舞姫をそのまま内裏に留め置いて宮仕えさせるつもりでしたが、舞姫たちは祓のためにもいったん退出します。近江守良清の娘は近江の辛崎(琵琶湖の西岸)で、摂津守惟光の娘は摂津難波で祓をおこないました。五節の前後には祓をおこなうのがきまりだったようです。良清と惟光は、光源氏に近い受領ですから、張り合う気持ちも強いのでしょう。この部分を見ると、惟光の娘だけが光源氏の後援を受けていたというのが不自然な感じもします。按察使大納言の娘も後日出仕させることを約束して退出します。もうひとりの左衛門督については「その人ならぬをたてまつりて」というところがあまりよく意味がわかりません。あらかじめこの娘を出しますと言っていたのとは違う娘を出した、ということでしょうか。左衛門督はこのことで咎められたようですが、舞姫本人はそのまま内裏に残るようにと言われたようです。宮仕えとなるとどういう形がよいか、父親としてはできるだけきちんとした形にしてやりたいでしょう。惟光は今典侍が欠員になっているので、娘をそれに宛ててほしいと申上しましたので、光源氏はそうしてやろうと考えます。典侍は天皇のそば近くに仕える内侍司の女官で、尚侍(ないしのかみ)に次ぐ二等官です。その噂を聞いた夕霧は、そうなると内裏の手の届かない所に行ってしまうのでまた悔しい思いをします。もう少し自分が大人で、もう少し身分があれば、自分が世話したいと言い出すのに、と、彼はここでも六位の我が身を嘆きます。

せうとの童殿上(わらはてんじやう)する、常にこの君に参り仕うまつるを、例よりもなつかしう語らひたまひて、「五節はいつか内裏(うち)へ参る」と問ひたまふ。「今年とこそは聞きはべれ」と聞こゆ。「顔のいとよかりしかば、すずろにこそ恋しけれ。ましが常に見るらむもうらやましきを、また見せてむや」とのたまへば、「いかでかさははべらむ。心にまかせてもえ見はべらず。男(をのこ)はらからとて、近くも寄せはべらねば、まして、いかでか君達(きむだち)には御覧ぜさせむ」と聞こゆ。

(惟光の娘の)弟で童殿上している者が、常にこの君(夕霧)にお仕えしているのだが、いつもより親しげに相談なさって、「五節はいつ内裏に参るのか」とお尋ねになる。「今年中にと聞いております」と申し上げる。「美貌であったので、むやみに恋しいのだ。そなたが平素あの姿を見ているであろうこともうらやましいのだが、また会わせてくれるか」とおっしゃると、「どうしてそのようなことができましょうか。私も思いのままに会うことはできません。男きょうだいということで(親が)近くにも寄せませんので、ましてどうして高貴な方のお目に掛けられましょうか」と申し上げる。

惟光の娘の兄弟(「せうと」は姉妹から見た男きょうだい。ここでは「童殿上」している年齢なので弟と思われる)が作法見習いのために殿上で奉仕する童殿上をしています。この男子はちょうど父親同士が主従関係にあったように、夕霧に親しく仕えるようにしているのです。夕霧はこの男に姉に会わせるように頼みますが、惟光は普段から男きょうだいでもこの娘には近づけないので、とても夕霧を会わせるなどということはできないとのことです。惟光は、まさに深窓の娘として育てているようです。

「さらば、文をだに」とてたまへり。さきざきかやうのことは言ふものを、と苦しけれど、せめてたまへば、いとほしうて持て往ぬ。年のほどよりはされてやありけむ、をかしと見けり。緑の薄様の好ましき重ねなるに、手はまだいと若けれど、生ひ先見えて、いとをかしげに、
ひかげにもしるかりけめやをとめごが
天の羽袖(はそで)にかけし心は
二人見るほどに、父主(ちちぬし)ふと寄り来たり。恐ろしうあきれて、え引き隠さず。「なぞの文ぞ」とて取るに、面赤みてゐたり。「よからぬわざしけり」と憎めば、せうと逃げて行くを、呼び寄せて、「誰がぞ」と問へば、「殿の冠者の君の、しかしかのたまうて賜へる」と言へば、


「それならせめて手紙だけでも」とお渡しになった。以前からこういうことは(父がやかましく)言っているのに、と迷惑がっているのだが、どうしてもとお渡しになるので、おいたわしく思って持って行った。(娘は)年の割にはこういうことに慣れているのか、おもしろいと思って手紙を見た。緑の薄様の紙(薄い鳥の子紙)の、気の利いた同じ色を重ねたもので、筆跡はまだひどく幼いのだが、末頼もしく美しい字で、
  日蔭のかづらを着けていたあなたに
とっては、日の光によってはっきり
分かったことでしょう。舞姫の羽袖
に思いを掛けた私の心は
二人で見ていると、父君(惟光)が突然近づいてきた。おそろしく途方に暮れて隠すこともできない。「どういう手紙だ」といって取り上げると、顔を赤らめてじっとしている。「けしからんことをしたのだな」と非難すると、弟は逃げていくので、それを呼び寄せて、「誰の手紙だ」と尋ねると「殿の冠者の君がこれこれこのようにおっしゃってくださいました」というと、


夕霧はどうしても思いを伝えたくて、手紙を託すことにしました。この童にしてみれば、はた迷惑なのですが、さすがに気の毒な気持ちがして引き受けてしまいます。このあたりは光源氏が惟光に無理を言っていた過去と同じことをしているのかもしれません。すると、娘は男女のことにはまだ疎いはずが、年齢の割にはさばけているのです。「されて」というのは、男女のことに通じているようすを言います。夕霧の歌は、自分が思いを掛けていることをあなたはおわかりでしょうね、というものでした。するとそこによりによって父親の惟光が来たのです。普段から妙な文使いなどはするなと戒められていたのに、こんなことをしたのですから、二人は仰天しました。弟は逃げ出そうとしたのですが父親に咎められて白状するほかはありません。夕霧からの手紙だと知った惟光は・・。

名残なくうち笑みて、「いかにうつくしき君の御され心なり。きむぢらは、同じ年なれど、いふかひなくはかなかめりかし」などほめて、母君にも見す。「この君達(きむだち)の、すこし人数(ひとかず)に思しぬべからましかば、宮仕へよりは、たてまつりてまし。殿の御心おきて見るに、見そめたまひてむ人を、御心とは忘れたまふまじきとこそいと頼もしけれ。明石の入道の例にやならまし」など言へど、皆急ぎ立ちにたり。

(惟光は)うってかわってにっこりとして、「なんとかわいらしい若君のお戯れであろうか。お前などは同じ年なのに、どうしようもなく頼りないようだな」などと(夕霧を)ほめて、母君にも見せる。「この若君が少しでもものの数に入れてくださるなら宮仕えよりも、いっそ差し上げてしまおうか。殿(光源氏)のお人柄を拝見するに、いったん見染められた人をご自分からお忘れになるはずがないのがまったく頼もしいことだ。明石の入道のようになるかもしれない」などというのだが、ほかの人は皆、内裏に入る準備に奔走したのであった。

惟光は、夕霧からの手紙だと聞くと「なごりなく」つまりこれまでの怒りなど跡形もなくなったように相好を崩すのです。単純な親ばかです(笑)。しかも夕霧に比べておまえは頼りない、などとどういうわけか息子に八つ当たりさえするのです。そして、妻にも手紙を見せ、いっそのこと、宮仕えなどさせずに、夕霧の妻にしてもらおう、受領の娘であっても、光源氏が明石の君を大切にして娘を大切にしているように、自分も明石の入道(明石の君の父。もと播磨守)のように幸せ者になれるかもしれない、と勝手に思いを巡らせているのです。ここでけっさくなのは、そんなことを思っているのは彼ひとりで、ほかの人たち(当然妻を含む)は宮仕えの準備にあくせくしているというところです。完全に惟光の一人合点で、誰も相手にしていない、という感じです。滑稽な父親像が描かれているのです。しかし、惟光の考えはまんざら的を射ていないものではなく、この娘が将来産むことになる夕霧の娘のうち、六の君は美貌で知られ、光源氏が明石の姫君を紫の上の養女にしたように、落葉宮(朱雀院=光源氏の兄=の女二の宮。柏木=今の内大臣の子=の妻となるが、柏木の没後、夕霧が強引に自分の妻にする)の養女にして、匂宮の妻にするのです。まさに明石の入道並みの出世かもしれません。

かの人は、文をだにえやりたまはず、立ちまさる方のことし心にかかりて、ほど経るままに、わりなく恋しき面影にまたあひ見でやと思ふよりほかのことなし。 宮の御もとへ、あいなく心憂くて参りたまはず。 おはせしかた、年ごろ遊び馴れし所のみ思ひ出でらるることまされば、里さへ憂くおぼえたまひつつ、また籠もりゐたまへり。殿は、この西の対にぞ聞こえ預けたてまつりたまひける。「大宮の御世の残り少なげなるを、おはせずなりなむのちも、かく幼きほどより見ならして、後見おぼせ」と聞こえたまへば、ただのたまふままの御心にて、なつかしうあはれに思ひ扱ひたてまつりたまふ。

あの方(夕霧)は、お手紙さえお送りになれず、(惟光の娘より)思いのまさる人のことが強く心にかかって、時が経つにつれてむしょうに恋しい面影に二度と会えずに終わるのかと思う以外何もできない。大宮のところにも、ばつが悪く、つらい気持ちになって参上なさらない。(雲居雁の)いらっしゃったお部屋や長年遊び馴れたところばかりが、以前にもまして思い出されるので、その家までをつらくお思いになってまた(二条東院に)籠っていらっしゃった。(源氏の)大殿はこの二条東院の西の対の方(花散里)に依頼してこの君をお預けになったのであった。「大宮のご寿命も残り少なそうですので、亡くなられた場合はそのあともこうして幼いうちから親しんでおいて後見なさってください」とご依頼になると、おっしゃる通りに従うご性格なので、やさしく、心からお世話申し上げなさるのであった。

夕霧は惟光の娘を思いつつも、やはりより深く思いを寄せ、身分も高い雲居雁のことを忘れるはずもありません。そしてもう彼女のいない大宮の邸(三条邸)には行く気にもならず、以前のように二条東院で学問をするほかはなくなったのです。光源氏は花散里の人柄のよさを知っており、また彼女には子どももいませんから、夕霧の親代わりとして世話を委ねました。花散里も素直に引き受け、愛情豊かに夕霧の世話をするのです。

ほのかになど見たてまつるにも、容貌(かたち)のまほならずもおはしけるかな、かかる人をも人は思ひ捨てたまはざりけり、など、わが、あながちに、つらき人の御容貌を心にかけて恋しと思ふもあぢきなしや、心ばへのかやうにやはらかならむ人をこそあひ思はめ、と思ふ。

(夕霧は花散里を)ちらっとご覧になったりするにつけて、容貌はすぐれてはいらっしゃらないのだな、(父光源氏は)こういう人もお見捨てにならないのだ、とも、わたしが一途にあの薄情な人(雲居雁)のご容貌を思い詰めて恋しく思うのもつまらないことだ、人柄のこのように穏やかな人をこそ愛し合いたいものだ、と思う。

親代わりになってもらうだけに、夕霧は花散里の容貌を見る機会がないわけではありません。すると、この人は必ずしも美貌ではないとわかるのです。父光源氏はこういう人も見捨てないのだから、自分が雲居雁を思い詰めるのはばかげていると考えます。人柄こそ何よりも大切なのだ、と花散里が無言のままに教えてくれるのです。では夕霧はもう容貌などどうでもいいと思ったかというと・・。

また、向かひて見るかひなからむもいとほしげなり、かくて年経たまひにけれど、殿の、さやうなる御容貌、御心と見たまうて、浜木綿(はまゆふ)ばかりの隔てさし隠しつつ、何くれともてなし紛らはしたまふめるも、むべなりけり、と思ふ心のうちぞ恥づかしかりける。大宮の容貌ことにおはしませど、まだいときよらにおはし、ここにもかしこにも人は容貌よきものとのみ目馴れたまへるを、もとよりすぐれざりける御容貌の、ややさだ過ぎたる心地して、痩せ痩せに御髪少ななるなどが、かくそしらはしきなりけり。

一方また、向き合って見るに堪えないような人も困ったものだ、こうして長い年月を過ごされたのだが、殿(光源氏)はこういう御容貌、お人柄とおわかりになったうえで、浜木綿のように幾重にも隔てを置いて離れていながらも、何かととりつくろうように気を使われるようなのももっともなことだ、と思う心の中は大人も顔負けなのであった。大宮の容貌は、お姿は(尼姿に)変わっていらっしゃるが、まだとても美しくていらっしゃり、ここでもどこでも人は容貌の美しいものとばかり見馴れていらっしゃったのだが、もともとすぐれていらっしゃらなかった御容貌が、いっそう老けすぎたような感じで、痩せがちで御髪も少ないのが、このようにけちをつけたくなるのである。

性格がよい人とこそ親しくすべきだ、と思ったのもつかの間、やはりあまりにも不器量では困る、と夕霧は思い返すのです。そして光源氏がこの不器量な女性とつかず離れずうまく付き合っていることに納得する、というのはとても十二歳の少年とは思えないような考え方です。「浜木綿」は、葉が重なり合って成長することから「幾重にも重なる」の意味で用いられ、「み熊野の浦の浜木綿百重(ももへ)なる心は思へどただにあはぬかも」(拾遺集・恋一)のように詠まれます。身の周りの女性方はみな美しい人ばかりというところに育った夕霧ですから、ついこの花散里には難癖をつけてしまうのです。

年の暮には、正月(むつき)の御装束など、宮はただ、この君ひとところの御ことを、まじることなういそぎたまふ。あまたくだり、いときよらに仕立てたまへるを見るも、もの憂くのみおぼゆれば、「朔日(ついたち)などにはかならずしも内裏(うち)へ参るまじう思ひたまふるに、何にかくいそがせたまふらむ」と聞こえたまへば、「などてかさもあらむ。老いくづほれたらむ人のやうにものたまふかな」とのたまへば、「老いねど、くづほれたる心地ぞするや」と独りごちて、うち涙ぐみてゐたまへり。

年末には、正月の御装束などを大宮はただこの君(夕霧)ひとりのことを余念なくご準備になる。幾揃いもの装束をとても美しくお仕立てになったのを見るにつけ、(夕霧は)憂鬱にばかり思われるので、「一日などには、必ずしも内裏に参るつもりもないと思っておりますのに、どうしてこのようにご準備になるのでしょうか」と申し上げなさると、「どうして参内しないでよいものでしょうか。老いて気力を失った人のようにおっしゃるのですね」とおっしゃると、「老いてはいないが気落ちはしている」と独り言をおっしゃって、少し涙ぐんでいらっしゃる。

まもなく新年です。大宮は夕霧のためにせっせと晴れの装束を準備します。しかし華やかな気持ちとは程遠い夕霧は、それを見るとなおつらくなるのです。そして正月にも参内はしないと言い張ります。大宮が「落胆した年寄りのようだ」といっているのはこのときの夕霧の姿をよく表しているのではないでしょうか。夕霧は相変わらずめそめそしています。

かのことを思ふならむ、と、いと心苦しうて、宮もうちひそみたまひぬ。「男は、口惜しき際の人だに、心を高うこそつかふなれ。あまりしめやかに、かくなものしたまひそ。何とか、かうながめがちに思ひ入れたまふべき。ゆゆしう」とのたまふ。

あのことを悩んでいるのだろう、ととてもかわいそうで、大宮も泣きそうなお顔になる。「男は、つまらない身分の人でさえ気位を高くするものだそうです。あまりしんみりとして、このように落ち込まないでください。何をこのように物思いがちにふさぎ込んでいらっしゃるのでしょう。不吉なこと」とおっしゃる。

大宮も夕霧の気持ちがわかるだけに、ついもらい泣きしそうになります。しかしあまりめそめそするものではない、と励ましもするのです。身分の低いものですらプライドを持つのだから、あなたのような人(家柄のよい者)は沈み込んではいけない、というのですが、夕霧は六位の官位を嘆く身の上だけに、身分のことを言われるのはあまり効果がないかもしれません。最後に「ゆゆし」と言っていますが、物思いがちになると、物の怪などの入り込む隙を見せることになるので不吉なのでしょう。ストレスが病気を誘発するのはいつの時代も同じことですが、それを当時は物の怪のせいにしたのでしょう。

「何かは。六位など人のあなづりはべるめれば、しばしのこととは思うたまふれど、内裏へ参るももの憂くてなむ。故大臣おはしまさましかば、戯れにても、人にはあなづられはべらざらまし。もの隔てぬ親におはすれど、いとけけしうさし放ちて思いたれば、おはしますあたりに、たやすくも参り馴れはべらず。東の院にてのみなむ、御前近くはべる。対の御方こそ、あはれにものしたまへ、 親今ひとところおはしまさましかば、何ごとを思ひはべらまし」とて、涙の落つるを紛らはいたまへるけしき、いみじうあはれなるに、

「何の。六位などと人がばかにしているようですので、それはしばらくの間のこととは思っておりますが、内裏へ参るのも憂鬱でして。故大臣(夕霧の母方の祖父。大宮の夫。故太政大臣)がご存命でしたら、冗談であっても人にはばかにされませんでしょうに。(父光源氏は)隔ては置かれない親ではいらっしゃいますが、ひどく他人のように私を疎遠なものとお思いになっていますので、ご在所のあたりに、たやすく参ることもあまりないのです。東の院でばかり御前近くにひかえているのです。対の御方(花散里)は心から大事にしてくださいますが、親がもうおひとりいらっしゃれば、何を思い悩むことがあるでしょう」といって、涙の落ちるのをごまかしていらっしゃる様子はとてもかわいそうなのだが、

やはり夕霧は六位の身分に強いコンプレックスを抱いているのです。それが恥ずかしくて参内もしたくないのです。母(葵の上)を失った後も、その実家で育てられてきた夕霧は、祖父(故太政大臣)を頼りにしていたのですが、すでに亡くなりました。実の父の光源氏はどこか他人行儀です。古注釈の『細流抄』は「源は紫上のかたにいつもましますゆゑにおのつからけとほくなり侍ると也」(光源氏は紫の上のところにいつもいらっしゃるので、自然と疎遠になります、というのである)という注をつけています。花散里は親切ですが、やはり実の母親がいてくれたら、と思わないではいられません。

宮は、いとどほろほろと泣きたまひて、「母にも後るる人は、ほどほどにつけて、さのみこそあはれなれど、おのづから宿世宿世に、人と成りたちぬれば、おろかに思ふもなきわざなるを、思ひ入れぬさまにてものしたまへ。故大臣の今しばしだにものしたまへかし。限りなき蔭には、同じことと頼みきこゆれど、思ふにかなはぬことの多かるかな。内大臣の心ばへも、なべての人にはあらずと、世人もめで言ふなれど、昔に変はることのみまさりゆくに、命長さも恨めしきに、生ひ先遠き人さへ、かくいささかにても、世を思ひしめりたまへれば、いとなむよろづ恨めしき世なる」とて、泣きおはします。


大宮はいっそうほろほろとお泣きになって、「母親に先立たれた人は、身分それぞれにつけて、あなたのようにかわいそうなものですが、自然とそれぞれの宿世のとおりに成人したら、軽んじる人もないものですから、思い詰めないようになさいませ。故大臣がもう少しでもご存命でいてくださればねえ。際限のないほどに頼りになる方(光源氏)については、(故太政大臣と)同じことと信頼申しておりますが、思うようにならないことが多いものですね。内大臣の人柄も、ありきたりの人ではないと世間の人も讃えているようですが、昔とは違ったことばかりが増えていくので、命の長さも恨めしいのですが、将来の長いあなたまでが、このようにほんのわずかにでも世の中を沈鬱に感じていらっしゃるので、ほんとうに何もかもが恨めしい世の中です」といって、泣いていらっしゃる。

夕霧が母(葵の上)のことを言い出すと、大宮はかわいそうでならなくていっそう泣いてしまうのです。『岷江入楚』は「夕霧のかくの給ふさへ大宮の御心にかなしかるへきに葵の事をさへのたまふ故にいとゝほろほろとゝかけり」(夕霧がこのようにおっしゃることさえ大宮の御心にとっては哀しいのに、葵の上のことまでおっしゃるので、いっそうほろほろと、と書いている)と言っています大宮にすれば娘の葵の上も哀れであり、その遺児の夕霧もまた哀れなのです。それに加えて夕霧が一生懸命涙を隠そうとするところがいじらしくてしかたがないのです。母方で育てられるのが基本であったこの時代の貴族にとって、その母親が早くに亡くなることは後ろ盾を失うことにもつながります。光源氏も、紫の上も母親を早くなくしていました。しかし、それは成人するまでのことだから、と大宮は孫を慰めるのです。それにしても故太政大臣がいてくだされば、と大宮は夕霧と同じことを言ってしまいます。光源氏が面倒を見てくれるのは間違いないので頼れるはずなのですが、それも疎遠で思うようにはいきません。内大臣は以前とは違った様子になっていて、大宮に不平を言ったり、雲居雁を引き離したりするようになりました。内大臣にすれば自分の息子や娘が大切ですし、特に雲居雁は春宮妃にと考え始めた矢先の不祥事ですから、かなり感情的になってしまったのでしょう。しかしその結果、大宮からも夕霧からも距離ができてしまい、あてにならない存在になりました。こうして大宮と夕霧は誰を頼ればいいのかわからない、似た者同士になってしまったのでした。こうしてこの年も暮れていきます。

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コメント

12歳

藤十郎さん

今回もとても面白く拝見しました。いつもありがとうございます。

恋に真剣に悩んだり、密会もしているらしい夕霧が12歳と聞いてとても驚いたのですが、
源氏の君がはじめての結婚をした年なんですね。

昔の貴族の12歳と今とではまったく違いますね。今はようやく小学校を卒業する年ごろですね。

昔は若くてもあっけなく亡くなることが少なくなかったので、早く結婚して早く次世代を再生産できるよう、人生が今とは比べ物にならないペースだったのだろうなと思います。

途上国で子供を結婚させるのが問題になっていますが(インドなど)、先進国とは平均寿命が違うのでやむを得ない部分もいくらかはあるのかなと思いました。


また、きわめて身分が高い人たちでも色々とものわずらう種はあるものだと思いました
(悲惨な境遇とはほど遠いですが)。

🎵如月さん

こちらこそ気にしていただいてありがとうございます。
12歳は数え年ですから、今なら小学校5年生です。『源氏物語』はフィクションですが、史実でも、後一条天皇は11歳で叔母と結婚しています。
もちろん、すぐに子ができるわけではありませんが、政略結婚ではこんなこともしたのですね。
藤原道長の娘彰子はやはり12歳で天皇と結婚したものの、出産は21歳でした。

「きわめて身分が高い人たちでも色々とものわずらう」・・・まさにこれが『源氏物語』のおもしろいところだと思います。身分に関係なく人間は弱く、愚かなもの。それを作者は描いているようです。

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