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走る人たち(1) 

平安時代の人がどういう生活をしていたのか、というのは興味がありながら不勉強であまりわかっていません。しかし長年平安時代のことを学んできたというだけのことで、少しずつ見えてくるものもあります。
京の庶民は自在に活動していて、家の脇に設けた畑で野菜を作ったり、賀茂川で捕えた魚を売り歩いたり、店を構えてコンビニのようにさまざまなものを売ったり。こういうのは昔の絵画資料から読み取ることが出来ます。男性は普段必ず烏帽子を着けて、寝る時には家に烏帽子かけのようなものがあって、それに引っ掛けたりしたようです。女性は腰あたりまで髪を伸ばすことが多かったようで、それをひっつめて仕事をしていたみたいです。それでも邪魔ではなかったのかな、といらぬおせっかいをしてしまいます。
子どもたちは、たとえば五月になると、腰に菖蒲を刀のように差して、チャンバラのようなことをしています。取っ組み合いをするのもいつの時代も同じです。有名な

    伴大納言絵巻

では、子どもの喧嘩がきっかけになって、伴大納言が放火したことが露見します(史実は陰謀によって伴大納言が濡れ衣を着せられただけかもしれませんが)。
山城と摂津の境のところにある山崎(サントリーの工場やウイスキーの銘柄でおなじみ)あたりでは荏胡麻油が作られていたようで、それを作る道具も『信貴山縁起絵巻』に残っていたりして、生活の様子がうかがえます。
前述の『伴大納言絵巻』には、朝堂院の正門である

    応天門

が炎上した時の貴族、庶民を問わぬ慌てっぷりが描かれて、生き生きとしています。応天門というのは大内裏の南門であった朱雀門(東西の二条大路と南北の朱雀大路に面している)を入ってしばらく少し北に行ったところにある門で、とても立派なものでした。
それが炎上したとあっては、誰もが観に行こうとします。野次馬ですね。貴族や警察(検非違使)は馬に乗ってくるのですが、その従者を含めて周りの者は走っています。消防隊はありません。火災があるともう誰も消せないのです。ただ状況を見に来て人々を整理したり怪しげなものを見張ったりする検非違使があるばかりです。
馬上の検非違使や貴族の多くは沓(くつ)を履いています(中には、慌てていたのか、裸足の者も)が、二条大路や朱雀大路を走ってきた庶民たちはたいていが裸足です。
今と違って、右足を出すときは右手を出して、ナンバ走りをしています。
朱雀門を入るまではどこかうれしそうな庶民たちですが、実際に火災を目の当たりにすると怯えたようになります。強風にあおられて烏帽子が飛ばないように抑えながら逃げようとする者もいます。

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