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半跏思惟 

あらゆる仏像の中で、「美しい」という言葉がまず口を突いて出るのは広隆寺の半跏思惟像ではないでしょうか。
釈迦入滅後の五十六億七千万年後に兜率天から我々の生きる娑婆世界に下生する、つまり出現するとされるのが弥勒菩薩です。弥勒菩薩はそのあと如来となって一切衆生を救ってくれるのだそうです。できればそんな先ではなく、来年あたりに救ってほしいのですが(笑)。
広隆寺の半跏思惟像はこの弥勒菩薩だと言われます。弥勒菩薩は釈迦との約束で、兜率天でその気の遠くなるような長い期間修行して、やがて娑婆世界に下りてくるのです。弥勒菩薩像は、信仰の盛んだった朝鮮半島でよく造られたのですが、その朝鮮からの渡来人が多数日本に帰化しました。その中に「うづまさ」を名乗ることになる秦氏があります。その一人である

    秦河勝

についてこんな伝承があります。
「皇太子諸々の大夫に謂ひて曰く、我に尊き仏像有り。誰か是の像を得て、以て恭しく拝め、と。時に、秦造河勝進みて曰く、臣、拝みまつらむ、と。便ち仏像を受けて、因て蜂岡寺を造る」(『日本書紀』推古天皇十一年十一月)。
聖徳太子が仏像を与えるから誰か尊崇する者はいないかと問われ、秦河勝が進み出てそれを賜り、京都の西の地に蜂岡寺(広隆寺)を建てて安置したというわけです。この像こそが今我々が目にする半跏思惟像だとも言われます。
この像は、日本では木像の材料にはしない赤松で造られていて、それゆえに朝鮮半島で造られたものが献上されたのではないかとも言われています。また、渡来人が朝鮮半島から持ち込んだ赤松材で彫り上げたものだという意見もあるようです。
いずれにせよ、首筋には三道といわれる皺(しわ)があり、少し体を前に傾けて、左足の上に右足を乗せ、右の肘をついて折り曲げ、人差し指と中指を頬につけるようにして、薬指だけは曲げて

    やわらかい笑顔

でじっと思惟しているこの姿は美しいとしか言いようのないものです。菩薩像であれば何らかの装飾がありそうで、実際腰には腰佩と呼ばれる装飾品がつけられていますが、胸や腹の瓔珞は残っていません。その痕跡はあるそうですので、元はもっときらびやかだったのでしょう。それらのない今の像は、かえってこの像の静謐さを感じさせるようでもありますが。
六十年ほど前に、あの何とも魅惑的な薬指が、ある学生の若気の過ちによって折られたことがありました。今は修復されていますが、美しいものに対してそれに触れたい、自分だけのものにしたいという願望を抱かせるに足る仏像だともいえるでしょうか。それにしても、拝む人がいてこその仏像でありながら、親しく拝めることで傷つけられる可能性も孕んでいるのも事実であり、文化財を守ることは本当に難しいものだと思います。「一切衆生を救うのだ、そのためにはどうすればいいのか」と思惟を重ねる弥勒の邪魔せずに、感謝の気持ちで見つめることにしたいものです。
五十六億七千万年、この像はこうして思惟し続けるのでしょうか。そうであれば、この像の時間は止まっているのではなく、刻々と時を刻んでいるのだとも思えます。

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コメント

文化庁からクレーム

東洋のヴィーナスとも呼ばれる広隆寺の弥勒菩薩。赤松で作られているから朝鮮半島から渡来したものと、当時京都府立大学助教授だった小原二郎先生が発表しました。すると文化庁から「日本で作られたものと訂正してください!」とクレームがつきました。小原先生は事実だからとクレームを一蹴しました。
私小原先生には仕事を通じて親しくさせていただきました。先生は「戦後初の国宝に指定した文化庁としては沽券にかかわると思ったんだろうね。でも事実は事実だからと言ってやったんだ」と笑っておられました。
小原先生は4年前に99歳で他界されましたが、生前にはいろいろと楽しいお話をお聞かせいただきました。

🎵やたけたの熊さん

文部省はそんなケチなことをいったのですか⁉︎
赤松材であることは間違いないようですから、そこからまた研究を始めるのが大切ですけどねぇ。
像が渡来したのか、渡来人仏師が使い慣れた赤松(材も渡来品か、日本のものか)で作ったのか。
それにしても、像の木が何かなんてよくわかるものですね。

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