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魂を掘り出す 

文楽人形の首は檜の塊を彫って造ります。大江巳之助さんのような名人と言われた人が精魂込めて彫った首は今も大切に用いられています。巳之助さんはノミを入れる時にどんな思いをもっていらっしゃるのか、一度うかがってみたかったと後悔しています。
文楽人形に魂を入れるのは人形遣いだと言われますが、私はやはり人形師さんが魂を込めるのだと思っています。ただし、それは人形遣いさんによって引き出されるようにしか造られていない。人形のままで明らかに魂が見えるようにはできていないし、そんな造り方をしたのでは動かしてこそ意味のある文楽人形にならないのだと思います。そのあたりの思いを巳之助さんにうかがってみたかった、と残念に思うのです。
仏像には塑像、木像、金銅像などがありますが、木造の場合は丸太を仏像の形に削っていくことになります。寄木造りの場合は像の一部分を造って合わせていいますが、一木造りであれば、丸太から仏像全体を彫り上げます。こういうことにまったく才能のない私などが考えますと、奇跡のような技です。
以前、ある仏師の方がおっしゃっていましたが、木を刻んで何もないところから仏像の姿を造っていくのではなく、はじめからその木の中におわします仏さまを掘り出すような気持ちなのだ、と。それでこそ

     魂のある仏像

が造れるのだ、ということでしょう。プロの話はなるほど傾聴すべきだと思います。私はこの話を聴いた時に、口幅ったいのですが、教育の仕事もつまりは同じことだと悟りました。こちらから一律に「これだけを覚えなさい」と言ってそれを覚えていれば合格、というのは真の教育ではない。それぞれの園児、児童、生徒、学生には個性があり、ほかの誰にもないたったひとつの魂があります。社会的に「悪人」と言われるような人でも、必ずきらめくような魂があるはずです。それを掘り起こすのが教育なのだろうと思うようになりました。

    いはんや悪人をや

というのは教育の場にあるものの忘れてはならない基本だと思います。いつだったか、学生がこんなことを言っていました。「高校の特別進学コースの先生は学力優秀だった。でも、普通コースの先生や生徒のことをいつもバカにしていた。私はこの先生に習ったが、とても尊敬できる人ではなかった」と。子どもたちはこのように見抜いているのですが、当の教師がわかっていないのです。
こんなことをあれこれ考えていると、もう一度今から修行し直して、教師になってみたいです。手遅れも甚だしいですが。

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