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仏を崇める 

仏像関係の本をいくらか読んでいます。ただ、地元の図書館には、思いのほか多く入っておらず、物足りなく感じています。文句があるなら自分で買えばいいのですが。
本を読んでいるうちに、仏を崇めることは釈迦如来なり薬師如来なりを心中で思い描けば良さそうなのに、なぜかくも多くの見事な仏像が造られたのだろう、と根本的なところを考えることもあります。
仏像というのは「ほとけのかたち」のことですが、実は「ほとけ」ということばそのものに「ほとけのかたち」という意味があるのです。
釈迦の弟子の「舎利弗(しゃりほつ)」とか、僧侶の道具の「拂子(ほっす。一般的には『払子』と書く)」の読みからわかりますが、「弗」の字は「ほつ」と読むことがあり、それに「にんべん」をつけた「仏」「佛」も「ほつ」「ほと」なのです。それに形を意味する「け」が付いたのが「ほとけ」ということになります。
ということは、「ほとけ」ということばそのものが仏像のこととも言えそうです。
となると、仏教が伝わったときからすでに、それを信仰することは偶像である

    仏像を崇めること

でもあったのでしょう。
神社にも「御神体」というものはありますが、それは偶像とはいささかニュアンスが異なるように思います。私の家の近所の神社は素戔嗚命を祀っていますが、だからといって素戔嗚命の像が御神体として置かれているのではありません。それに対して、仏教は釈迦如来なり観音菩薩なりを本尊とするならその像を刻んで拝みます。
だから仏像はさまざまに造られ、仏教美術が盛んになったのだ、と感心するのです。仏師と呼ばれる人たちも工夫を重ねて芸術としての高みも目指したでしょう。
仏像の顔はさまざまで、特に観音くらいになると日本人モデルが感じられるものもあります。
法隆寺の

    救世観音

は聖徳太子の等身仏で、法華寺の十一面観音は光明皇后の姿を写したものと伝わります。
広隆寺の半跏思惟像(弥勒菩薩像)は素材から朝鮮半島で造られたものという説がありますが、そのやわらかな表情は日本風だとも言われます。
観音像はお堂の奥にじっと置かれたとは限らず、巷を巡って衆生を救うことを示すためにも、御神輿よろしく外に出されることがありました。人々がお寺に行って観音像を拝むのではなく、観音像が出てきてくれることがあったのですね。
傷がつきそうで、今ならあり得ないかもしれませんが、それも仏像を崇めるひとつの方法だったのですね。

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