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錣太夫さんのお弟子さん 

竹本錣太夫さんと初めてお話ししたのはもう30年以上前のことです。私は当時広島の短大に勤めていたのですが、錣さんは広島県のご出身ですから、そんなことがきっかけになったのだろうと思います。あの当時からとても謙虚な方で、私よりずっと年長でいらっしゃるのに、丁寧な物言いをしてくださったものでした。
四代目竹本津太夫師匠のお弟子さんでしたが、津太夫師匠が「ものすごく高い声の出る弟子がいる」とおっしゃっていたことがあり、あれは多分錣さん、当時の津駒太夫さんだったのだと思います。師匠がそうおっしゃるくらい、高いところに声が届く方ですが、その一方、水も滴るまろやかさがあったかというとあまりそうは感じられず、艶物語りというイメージは持ちませんでした。しかしお若いころは掛け合いでお姫様などを語られたり、道行で女性を担当されたりしていたように思います。何だか違うなぁ、というのが私の印象でした。あるとき、素浄瑠璃で時代物の語り(「勘平腹切」など)を拝聴した時、やはりこの方は「声屋」さんではなく

    時代物の太夫さん

だと確信しました。津太夫門下には緑さん、津駒さん、津国さん、津梅さんなどがいらっしゃいましたが、緑さんは三段目の方で、津駒さんは四段目語りだろうと思いました。「河連法眼館」「金閣寺」「神崎揚屋」「十種香」などですね。
その意味では、津太夫師匠亡きあとに先代呂太夫師匠に入門されたのもむべなるかなという感じがします。
謙虚な方なので、お名前をいつまでも津駒のままになさって、私は思いあまって津太夫師匠の前名である「濱太夫」は継げないのですか、と申し上げたこともありました。そして、本来なら「津太夫」の継承者となられたであろう緑太夫さんが亡くなったのですから、津駒さんが津太夫にもっとも近い人だとも思っていました。
最初の師匠の津太夫師匠の相三味線だったのが六代目寛治師匠。そのご縁なのか、七代目鶴澤寛治師匠が津駒さんの三味線をお弾きになるようになって、寛治師匠が預かっていらっしゃった錣太夫の名をお継ぎになりました。これはこれでいいことだと思いました。何と言っても寛治師匠に見込まれたわけですから。
錣さんはファンも増えて、どんどん大きな場をお語りになるようになりました。それでももの足りなかったのはお弟子さんがいらっしゃらなかったことです。やはり弟子を持つことは重要です。若い人を教え育てることで自分もまた成長できますし、口幅ったいことを申しますが、浄瑠璃の味も深まるだろうと思います。
このたび、めでたく錣太夫さんにお弟子さんができました。愛知県の知立文楽で学ばれたそうですが、澤井君という若者で、研修を終えてこの春に入門されました。芸名は

    竹本聖太夫(たけもとさとたゆう)

だそうで、なかなか元気そうな青年のようです。
どうか、錣さんから多くのことを学びつつ、また錣太夫さんご自身もさらに円熟の境地に達して近いうちに誰もが認める「切語り」になられるように期待しています。

  義太夫の聖き教へを身にまとひ
   語り伝へよ深き情けを

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コメント

化ける

古典芸能の世界で、あるとき大きく飛躍することを「化ける」と言いますが、津駒太夫さんが化けられたのを実際に拝見したことがあります。いつのことでしたか。25年前?いや30年近く前?だったでしょうか。生写朝顔話・大井川の段でした。筒いっぱいの語りで、私は魂を奪われました。その時分文楽劇場には「ファン感謝ディー」というイベントがあり、抽選に当たった友の会会員は技芸員の方々と、劇場ロビーで立食しながら親しく歓談できました。たまたま私は抽選でめでたく選ばれました。そして津駒さんに「大井川で化けはりましたね」とお声をかけました。津駒さんは「はい。やりました!」とおっしゃいました。ご自身もはっきり自覚されていました。これまでの努力の積み重ねが、あるとき急に大きく飛躍するさまを拝見できて幸せでした。

🎵やたけたの熊さん

語りも語ったり、聴きも聴いたり。良き演奏家と良き鑑賞者ですね。
私、覚えていません。あかんなぁ・・。

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