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道頓堀残照 

カフェから道頓堀を思い出すのはどうも最近ノスタルジックになりがちな心境のなせるわざかもしれません。
私は大阪の人間ではありませんから、道頓堀は子どものころは遠い町でした。わずかに「くいだおれ」の人形という不思議なものがあることは知っていましたが。
その道頓堀に、親に連れられて行ったことがあり、そのときには、とても人の多いところで、あの「くいだおれ」の人形は巨大なものだった、という印象を持ちました。もちろん実際は自分が小さかっただけのことで、大人になって見てみると「こんなものだったのか」と拍子抜けしましたが。
子どものころは道頓堀というとそれくらいの印象しかなく、まさか文楽があそこでおこなわれていたとは知りませんでした。
高校生くらいになって文楽をテレビでチラチラ見るようになってからも、まだ

    朝日座

という言葉も覚えていなかっただろうと思います。
明治のころには、東から弁天座、朝日座、角座、中座、浪花座があって、にぎわったようです。この朝日座は文楽の朝日座ではなく、私が道頓堀を知るようになったころは東映の映画館になっていたところです。文楽の朝日座は、もとは弁天座でした。
私はこの中で多分映画館の朝日座には入ったことがないと思います。角座は入らなくても毎週テレビで

    道頓堀アワー

という番組があって、寄席中継をしていました。浪花座は、私の場合寄席の劇場として行きました笑福亭呂鶴さんの独演会などに行った覚えがあります。
中座は歌舞伎。弁天座は文楽の朝日座になっていました。あのころは、道頓堀を歩いていて、「文楽は綱太夫の『日向嶋』が評判やな」「中(中座)では若手の吉右衛門が来たはるで」「角(角座)覗いて見よか。六代目(松鶴)の看板が出てるわ」などと言って品定めしながらどこかに入る、という楽しみがあったはずなのです。私もかろうじてそういうことをした経験があります。これが芝居街の醍醐味です。
浪花座の位置には

    竹本座跡

の碑がありますが、なんだかもうあたりの喧騒に埋もれてしまったようにすら感じられます。
道頓堀は、大阪が芝居街であったときの名残をとどめる大事な場所でした。中座の火災が文楽劇場建設より先にあったのであれば、文楽劇場はその跡地に建てればよかったのですが、それは今さらいってもしかたのないことです。何も伝統芸能だけにこだわることはないのです。もっと新しい芝居も上演させるような活気のある街に持って行けばよかったと思います。
道頓堀川も「赤い灯青い灯」がゆらめく色香漂う場所だったのに、いつしか「めでたいことがあると若者が飛び込む川」になってしまい、あげくには「プールにして遠泳選手権をしよう」とさえ計画されました。
今は、西の端に「芝居街道頓堀」の残照のように松竹座がありますが、あとは見るかげもなくなってしまいました。
「文化の香り」などというと、大阪の議会の人あたりからはせせら笑いを受けるかもしれませんが、私はやはりそういう香りが懐かしくて仕方がありません。

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コメント

藤十郎さん

今はそういう、色々な劇場を品定めしながらどこかに入る楽しみのある芝居街というと、どこでしょうね。
小劇場中心ですが、東京の下北沢でしょうか?

生まれつきの道頓堀っ子のお友達は、維新の会に蹂躙される大阪をこれ以上見たくないと、遠くに引っ越されました・・。

🎵如月さん

はい、私も下北沢をイメージしながらこの記事を書きました。道頓堀の場合は小劇場のみならず歌舞伎や文楽も一緒になれるので、さらにおもしろくなると思ったのです。
川をプールにするという話は多くの税金を使ったあげく、文字どおり泡と消えました。

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