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時事短歌 

昨日書きましたように、短歌に政治的な内容を詠まれると、その政治家や政策についての意見が歌のよしあしにまで影響してしまうように感じます。
たとえば昨日上げた前の総理大臣について「晩節を汚した」という歌がある場合、それを人が集まって歌会で批評し合うようなときに「あの人は世界に誇れる総理大臣だった」という人もいれば「無能でうそつきの最悪の総理大臣だった」という人もありそうです。批評の場で、いつの間にか「いやすばらしい人だった」「とんでもない人だった」「それはひどい」「そっちことむちゃくちゃだ」などと言い合い始めたら、もともとの短歌はどこかに行ってしまいそうです。
私自身はそういう内容の歌は詠まないのですが、

    時事短歌

というのを否定するものでもありません。朝日新聞の「歌壇」のページを見ると、しばしばこういう政治がらみの短歌が採られています。ただ、私は時として「これが『歌』なのだろうか」と思うようなものもあるのです。たとえばオリンピックの前の組織委員長や選挙違反の当事者の国会議員に対する抗議の内容の短歌が入選したりしていますが、ほとんど批判の言葉を三十一文字連ねたように見えることもあります。これが保守系の新聞だったら載らないだろうな、と思うようことが多いのです。実際のところ、読売新聞や産経新聞がどのような短歌を載せているのか知らないのですが、一度同じような内容のものをそれらの新聞の「歌壇」のページに送ってみようかと思うくらいです(もちろんハガキ代がもったいないのでそんなことはしませんが)。
江戸時代には

    狂歌

というのがありました。教科書にも載っている有名なものとしては「太平の眠りをさますじやうきせんたつた四はいで夜も寝られず」があります。「上喜撰」(宇治の茶)に「蒸気船」を、茶を「四杯」に蒸気船が「四杯(隻)」を掛けたもので、実におもしろいものです。掛詞を用いて表ではお茶の飲み過ぎで夜も寝られないといいつつ、実際は黒船のために不安で眠れないという意味を詠むわけです。このように、狂歌は時事的なことを表現するのにふさわしいと思うのですが、さて短歌はどうなのだろう、と考えてしまいます。
短歌は花鳥風月の美しさだけでなく、そこに投影する人の心を詠むべきだと思います。それなら、社会問題を詠み込む場合も詠み手の心がにじむような歌がいいと思います。オリンピックの組織委員長が「女性は話が長い」というようなことを言ったとき、朝日新聞の「歌壇」に、それを批判するだけでなく「批判する自分もまた同じことを考えている」という立場から詠んだものがありました。ああいうのは詠み手の心がにじむので悪くはないと思いました。

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