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約束を守らない人たち 

緊急事態宣言で、不要不急の夜の外出は避けること、とお触れが出ていたのに、一部の政治家たちはどこかで飲み歩いていたようです。また、宣言を終えてからも夜遅くの長時間の多人数での飲食は避けてくださいと言っていたはずの厚生労働省の役人が夜遅くに長時間にわたって多数で送別会をしていたのだとか。所詮政治家も官僚も弱くてつまらない人間ですから、模範的であれなどと言っても虚しいことなのかもしれません。しかし、それならば自分たちは特別、などという特権意識も持たないでいただきたい。

    平安時代

の話です。
当時も結婚は一夫一妻なのに、貴族はおかまいなし。女性は政治に参加しません。女官はいますが、大臣、大納言、中納言、参議という「公卿(くぎょう)」はもちろんのこと、役人と名の付くものはすべて男性でした。だから、男性の身勝手な論理は通用してしまったのです。
結婚できる年齢は男子十五歳、女子十三歳と「令(りょう)」の規定にありますが、例えば後一条天皇に藤原道長の娘威子が入内した時、天皇は十一歳でした。もちろん、天皇自身が結婚したいと言ったわけではありません。藤原道長がわが娘を強引に入内させたのです。ちなみに後一条天皇は威子の甥で、9歳年少でした。今で言うなら、大学1年生の女の子と小学4年生の男の子と結婚ということです。
また、これはフィクションではありますが、『源氏物語』では明石の姫君という人が春宮の子を十三歳で産んでいます。
賀茂祭の日には華美にすぎること(「過差」といいました)が多くて、何度も自粛のお達しが出されました。貴族たちは、しばらくはそれに従っても、のど元過ぎればまた同じことを繰り返しました。
藤原師輔という人は最高クラスの貴族でしたが、子孫に厳しく生活するように戒め(以前ここでご紹介した「九条殿遺誡」)を残したのに、きちんと守った形跡はありません。
今の一部の政治家を見ていると、さながら

    平安貴族

です。「誰それの子(あるいは子孫)である」ということが世に出るもっとも有効な手段で、能力などなくても「お坊ちゃま」であれば注目されて議員になどすぐになれます。メディアも世襲を批判すると言いながら、そういう連中を話題にして事実上の援護射撃をすることが少なくありません。
まれに世襲以外の人が頭角を現すことはあります。しかし、苦学して実力だけで成長した「たたきあげ」ならまだしも、「お坊ちゃま」の腰巾着になってその意に沿うような振る舞いに明け暮れ、何かの偶然で少しでも地位を得たらその権力を横暴に使うような「成り上がり」ではどうにもなりません。

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