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簔助師匠の引退(3) 

もうお忘れだとは思いますが、簔助師匠は一時私のことを知っていてくださいました。
以前も書いた自慢話(笑)を繰り返します。
東京国立劇場の公演の時、平河町の横断歩道で信号待ちをしていたことがありました。何となく人の気配を感じたものですから、ふと振り返るとそこに簔助師匠がいらして、にっこりして「おはようさん」とおっしゃいました。もうびっくりして、「お、お、おはよう、ご、ご、ございます」としどろもどろにお返事したものでした。
吉田勘彌さんたちが立ちあげられた「十色会」の稽古にうかがったことがあります。簔助師匠や文吾さんらがいらっしゃっていましたが、ひとしきり演技が終わったあと、客席にいらした師匠が舞台に上がって手取り足取り、ほんとうに熱心に指導を始められたのです。怒鳴るような感じではなく、身振りを交えながら、懇切に指導なさっていました。私は稽古を見せてもらいに行ったはずなのに、簔助師匠の指導ぶりばかりが印象に残るような気持ちになりました。そして指導が終わって師匠がお帰りになろうとして客席に降りてこられました。ぼんやりしていた私は師匠がどんどん近づいて来られるのでなんとなく「これはまずい」と思っていたのですが、逃げるわけにもいかず、金縛りにあったようになっていました。すると師匠は私をご覧になって「おお、こんにちは」とまた愛想よく声をかけてくださったのでした。
簔助師匠の役はもう数限りなく、と言いたくなるほどの逸品ぞろいでした。女形のイメージが強いのですが、お弟子さんに伺ったところ、師匠は

    「ワシは女形遣いとちゃう(違う)」

とおっしゃっていたそうです。
私も印象に残っている立ち役があります。その代表は『菅原伝授手習鑑』「佐太村」の桜丸、『心中天網島』の治兵衛、『義経千本桜』「すしや」の維盛弥助、『新うすゆき物語』の奴妻平です。
四代目竹本越路太夫師匠の引退披露の公演(1989年)は「桜丸切腹」でしたが、あのときは先代玉男師匠の白太夫に簔助師匠の桜丸でした。越路師匠がなぜ引退されるのか不思議なくらいすばらしい語りで、しかも手摺が完璧に演じられ、すばらしい舞台でした。
奴妻平は、拝見するまではなぜ簔助師匠がこの役をなさるのだろう、といぶかしく思うくらいでしたが、清水寺の桜の中で奴の雰囲気も鮮やかに、いかにもきっぷのよい性根が描かれていました。実に存在感豊かな奴で、妻平ってこんなにいい役だったのか、と思い知ったものでした。
弥助(実は平維盛)は、

    文楽劇場の開場公演

で拝見しました。私はまだ二十代のころで、文楽の醍醐味なんてわかるはずもなかったのですが、弥助という人物がなんとも浮世離れしているというか、「雲居に近き御方」(お里のクドキ)にふさわしい性根がありありとうかがえたのでした。あのときは先代清十郎師がお里だったのですが、ご病気のために初日だけの出演であとは休演なさり、代役は一暢さんでした。空き桶を取りに行っていた弥助が戻ってくると、お里は嬉しくて「もしやどこぞへ寄つてかと気が回つた、案じた」と駆け寄りますが、そのときも弥助はどこか超然として「世話」のお里とは一線を画す「時代」の世界の人らしい性根が見えたのです。
この役は、規矩正しい演技の玉男師匠でも拝見しましたが、簔助師匠のものはもっと色気の匂う弥助だったように思います。
簔助師匠の立ち役というと、ほかにも「鑓の権三」の笹野権三、「長町裏」の義平次、「忠臣蔵」の大星、「すしや」の権太などがありました。
義平次は先代勘十郎師匠の追善公演で、当時の簔太郎(今の勘十郎)さんの団七に付き合われたのでした。油壷から出すような権三は簔助師匠その人のようで実によく映るものでした。ただ、玉男師匠が亡くなったあとに遣われた大星と権太はどうにも無理があったように思いました。

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コメント

人形のために生きた人

蓑助師匠は、人形のために生まれて生きたひとのように思います。
なかでも、あの人形の色気はなかなか継ぐのは難しいように思います。わたしにはうまく説明できませんが、人形のあごと肩がつねに曲線を描くところが色気の秘訣なのでしょうか。師匠ご自身の色気が、人形に乗り移っているようにも思います。

🎵やたけたの熊さん

へえ、微妙なところをご覧になっていますね。
そういえば、人形を遣うほかは何もできない、とおっしゃっていましたね。

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