ホームランボール
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先週、阪急西宮球場のことを書きましたが、その続きのような話です。
私は野球の試合はしばしば観に行ったのですが、それはたいてい阪急西宮球場でした。もちろん今はなくなった野球場です。阪急がオリックスになって神戸に本拠を移し(今はまた大阪市に移りました)西宮球場はお払い箱になってしまったのです。
西宮球場は阪急電鉄西宮北口駅の南東側すぐのところにありました。電車から見るとカクテル光線が目の前で輝いていました。同じ西宮市の阪神甲子園球場は阪神タイガーズの本拠地。電鉄会社とすれば阪急の方がずっと大きいのに、球団の人気は雲泥の差。長い間「大阪タイガース」と名乗っていたこともあるだけに、大阪のファンも多く、60年ほど前にフランチャイズ制度ができて、兵庫県が保護区域となって名称も阪神タイガースに変更されましたが、それでもどこか「大阪の球団」というイメージがあるように思います。今も甲子園は大阪だと思っている人は全国にたくさんいらっしゃるでしょう。
さて、阪急なのですが、人気がないうえに弱くて、しょっちゅう5位とか最下位にいたような気がします。ところが、昭和44年に
山田、福本、加藤
という選手が同時に入団して、1970年代に花開き、強くて人気のない球団(弱いけど人気のある阪神と逆?)という状態が続きました。
私がよく観に行ったのはそのころから1980年代の初め頃にかけてで、ほんとうに強かったのです。
1975年(76年かも)の夏に東京からやってきた従弟と一緒に西宮球場に行ったことがありました。
阪急対南海でした。阪急のピッチャーは戸田善紀投手。スライダーのよく切れるいいピッチャーでした。そして、戸田投手の好投で南海打線を抑え、一方阪急もなかなか点が入らなかったのですが、加藤秀司(のち英司)選手とバーニー・ウィリアムズ選手がソロホームランを放って2-0で勝ったのです。その加藤選手の打ったホームランがライトスタンドで観ていた私の方に向かって飛んできて、当時設置されていた
ラッキーゾーン
に飛び込みました。そこはピッチング練習場でもあったのですが、そのときは誰もいませんでしたので、ボールはころころころがっていた・・と思った刹那、従弟が2mくらいの高さから飛び降りてわがものにしてしまったのです。私はびっくりして手を差し出し、彼を引きあげました。やんちゃな従弟らしい突然の行為でした。ところが、東京生まれの東京育ちの従弟はなぜか南海ファンで、「ぼくこれいりませんから、あげます」といって私にくれたのです。「せっかくだからお土産に持って帰りなよ」と言ったのですが、悔しいからいらない、というのです。
今、私の手元に1球の硬式野球のボールがあります。もう色あせていて、たしか、パリーグ公認球であることを示す印字があったのに、それも消えてしまっています。そうなんです、それがあの時のボールなのです。イチローさんのサイン入りホームランボールなら売れそうですが、サインもない加藤さんのホームランボールでは価値がなさそうです(笑)。これ、どうしようかな。
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- [2021/05/28 00:00]
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