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卅三間堂棟由来 

芝居の題は奇数文字、しかも多くの場合は五文字か七文字というのがきまりです。『本朝二十四孝』ではなく『本朝廿四孝』と書きます。『加賀見山旧錦絵』というタイトルも『加賀見山故郷錦絵』と書いてもよさそうですがそれはダメなのですね。『石切梶原』は四文字ですがこれは通称で、本外題は『三浦大助紅梅靮』(『梶原平三誉石切』)です。近松時代の作品はそうでもないようで、『世継曽我』『出世景清』『卯月紅葉』『生玉心中』は四文字です。
『卅三間堂棟由来』も普通なら『三十三間堂棟木由来』でしょうが、この場合奇数とはいえ七文字にしようとしたのでしょう、「三十」を「卅」、「棟木」は「棟」一文字にしてしまいました。
初めて『卅三間堂』を観たのはいつのころか、さすがにもう忘れてしまいました。「平太郎住家」が物語の山場で、お柳のクドキやみどり丸との子別れなど見どころ、聴きどころもあります。お柳の

  「母は今を限りにて
  もとの柳に戻るぞや。
  必ず草木成仏と回向を頼む
  夫(つま)よ子よ。
  離れ難なや悲しや」


という訴えは柳の精が人間の姿になったがゆえの哀しみにあふれています。
今は「鷹狩」や「平太郎住家」の老母殺しの場面が省略されることが多く、私もそれらを含む上演は数えるほどしか観ていません。「平太郎住家」で平太郎がみどり丸を連れて家を出る場面ではまだ老母は生きています。そのあと彼女は殺害され、いったん戻ってきた平太郎がその姿を見て、改めて柳が切られる場に行きます。そのため、「木遣り音頭」の段切では「『孫よ孫よ』と夕べまでいとしがつたる老母さへ道の巷に葬らむ」と母はすでに亡くなっていることになっていて、実はつじつまが合いません。
「平太郎住家」の前半と「木遣り音頭」には「進の蔵人」という人物が登場しますが、確かこの役は先代勘十郎師の最後の役だったように思います。
この「木遣り音頭」は歌としても魅力があって、勇壮で華やかな雰囲気がありながら、この

    切なく悲しい場面

にもよくマッチしています。最後に平太郎が歌う木遣りは「無残なるかな幼き者は、母の柳を都へ送る、もとは熊野の柳の露に育て上げたるそのみどり子が」で、これは「都へ送る」といいつつ、実は「野辺送り」だとも言えるでしょう。
いろんな名演がありますが、私にとっては五代目呂太夫さんが随一で、よく伸びるお声でしかも哀感たっぷりに語られました。
私が創作浄瑠璃のラストシーンでしばしば歌を書く(「異聞片葉葦」「落葉無き椎」)のは、自分ではあまり意識していなかったのですが、この木遣り音頭に影響されたのかもしれません。
この6月の文楽鑑賞教室はこの『卅三間堂棟由来』がプログラムに入り、五代目呂太夫師や嶋太夫師の薫陶を受けられた呂勢太夫さんが藤蔵さんの三味線で語られる(ほかは藤太夫・宗助、織太夫・燕三、靖太夫・錦糸)というので大いに期待されます。

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