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まんだが池物語(1) 

1991年に募集がおこなわれた(同年10月末締切)「文楽なにわ賞」で最優秀賞を受賞したのは雨野士郎さんの『まんだが池物語』でした。応募されたときのタイトルは『茨田池物語』だったかもしれません。雨野さん(このお名前はペンネームかもしれません)は関東の方で、70代くらいだったと思います。文楽観劇歴は半世紀以上という「通(つう)」と言える方でした。
タイトルが平仮名で「まんだが池」になったのには理由があり、この作品が上演されたのは4年後の夏の公演の第一部、つまり子どもさんが来られる演目になったからです。内容も子どもにわかるようにということで、補綴された山田庄一さんが工夫されたようです。作曲は当時43歳だった

    鶴澤清介さん

でした。
この作品は初演のみで長らく再演されておらず、今では忘れられつつあると思いますので、どういう作品であったかを振り返っておこうと思います。

茨田庄(まんだのしょう)の下の郡と上の郡は何かと衝突することがありましたが、その両方の郡で川の氾濫を防ぐためのため池を作ることになりました。工事の方法は下の郡の長(おさ)である強頸(こわくび。首は大舅)が主張した突貫工事に決まります。強頸は若いころから腕力自慢で、相撲で負けたことがないという、つわものでした。この工事を打診に来た都からの勅使に望まれて、その力を披露することになり、上の郡の若者相手に「首引き」をおこなうと、見事に勝ちました。
上の郡の長の衫子(ころものご。首は孔明)はそれどころではなく、もし工事の途中に嵐が来たらどうなるかを案じています。強頸はそんな衫子をあざ笑いますが、衫子は真剣です。そして家に伝わる工法を強頸に教えようとしますが、意地っ張りの強頸は無用だと強がり、衫子も不快になってそれぞれに工事をおこなうことになります。(ここまで「首引き」の段)
狩が好きで殺生ばかりしている強頸には娘のきらら(首は娘)がいました。きららは下女の小えんとともに神社に工事の成功を祈願に行きますが、その神社は父の強頸が信心を持たないために荒れ果てているのです。そのとき地鳴りが起こり、恐ろしい山男が現れ、きららを襲います。そこにあらわれたのが竹麿(たけまろ。首は源太)という若者で、竹麿は山男を追い払い、笛を吹くと地鳴りも収まります。竹麿はきららたちを送って帰りますが、その途中で山が荒れていることを嘆きます。このあたりは作者の

    自然破壊に対する批判

が反映しているものと思われ(さらに明確な批判は下の巻に見えます)、それは20世紀末の世の中と重なるものでもあったのでしょう。
きららは竹麿に思いを寄せるのですが、実は彼は衫子の子で、都で宮仕えをする身で、笛の伝授を受けて実家に帰る途中だったのです。それを知ったきららは、この恋が成就するかどうかは難しいと思うのでした。(ここまで「奥山古社」の段)
以上が上の巻です。

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