まんだが池物語(2)
- 文楽 浄瑠璃
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この演目は作者の雨野士郎さんが江戸時代の読本である『莠句冊』(ひつじぐさ。都賀庭鐘・作)第五篇の「絶間池の演義強頸の勇衣子の智ありし話」から採られたものです。強頸・衫子の伝説は河内地方に伝わり、今もよく知られるものです。雨野さんの文章はとても美しいもので、なるほど長年浄瑠璃をお聞きになってきただけのことはあります。この方がどういう経歴の持ち主でいらっしゃるのか、私は知らないのですが、ただものではない、という感じがします。
さて都賀庭鐘も伝えた強頸・衫子の伝説というのは、
『日本書紀』
仁徳天皇十一年に見られるものです。茨田堤を造作するにあたって築いても崩れるところが二か所あったため、武蔵の人強頸(こはくび)と河内の人茨田連衫子(まむたのむらじころものこ)が人身御供に選ばれ、強頸は命を落としましたが、衫子は瓢(ひさご)を二つ川に浮かべて「うけひ」(上代におこなわれた占い)をしました。そして「もし私を人身御供として必要とするならこの瓢を沈めたあと浮かび上がらせないでください。もし瓢が沈まないなら私は自分の身を亡ぼす必要はない」と言ったのです。そして瓢を水に沈めましたが、強風が吹いて浮かび上がり、瓢は沈みませんでした。衫子はこうして助かり、堤も完成したというのです。
雨野さんはそれをもとに、強頸と衫子の確執やきららと竹麿の恋を取り入れ、自然破壊への警鐘とともに創作されたのです。
下の巻は次のような内容です。
強頸は衫子より早く完成させようと工事を急ぎ、工事に携わる人々は疲弊していました。完成間近になって堤が崩れることが重なり困っていると、白衣の行人(首は陀羅助)が現れ「これは川の神の祟りだ」と言います。一方、竹麿に恋い焦がれるきららは恋わずらいの床にいます。そこで下女の小えんがアイデアを出します。「恋に悩んで命を捨てる」という内容の手紙を父親(強頸)あてに書き、竹麿にも恋文を書き、きらら自身はひとまず小えんの実家に身を隠すというものです。もし竹麿が応じてくれたら強頸に話そうということにして、二人は屋敷を出ていきます。そのあと、山男が忍び込んで、なぜかきららの着物を盗み出しました。
さて竹麿は工事現場で笛を吹き、その音色の微妙な変化で堤の状態などを察知しては絵図面を作っていました。その作業は強頸の下の郡にも及び、その図面どおりにすれば上下の郡の仕事は完成するはずです。そんなところに下女の小えんが訪ねていきますと、竹麿は喜んで、下の郡の絵図面を渡して、「今夜大雨になりそうだから、絵図面に注記された場所に気を配るように」と伝えます。(ここまで「強頸屋敷より衫子館厨口」の段)
きららのもとに急ぐ小えんは途中で異形の男に襲われ強頸あてのきららの手紙と絵図面を奪われます。(「野道」の段)
その夜、大雨が降り下の郡の堤が崩れました。そこに山男がやってきて「これは川の神の祟りだ。人柱を捧げよ」と言います。さらにそこに現れた白衣の行人が幣を投げ入れるとそれが沈んでしまいます。そこに異形の男もやってきて小えんから奪った手紙を強頸に見せ、「きららはすでに人柱となるために身を投げた」と言い、証拠として彼女の着物を見せます。娘を亡くしたと絶望した強頸は思いあまってそばにいた白衣の行人を道連れに川に身を投げました。
山男と異形の男は仲間とともに衫子のところに行きます。彼らは衫子にも人柱になるように言いますが、衫子は歯牙にもかけないのです。そして幣が沈んだというのも鉛を入れていたからだと看破します。そこに竹麿の笛が聞こえてきます。すると二人は力をなくし、仲間たちの姿は消えてしまいます。山男と異形の男の正体は狸とカワウソでした(白衣の行人も狐でした)。彼らは山の木を伐られて生きにくくなったことと、狩を好む強頸によって一族が殺されたために人の姿になって恨みを晴らそうとしたのです。衫子には恨みはないのですが、自然の敵は人間だ、という気持ちで敵意を抱いたのです。衫子はその告白に打たれて彼らを逃がしました。
やがて池はできあがり、衫子は上下の郡の長になり、竹麿ときららは結ばれることになりました。
以上のように、強頸・衫子の伝承を基にしつつ、『ロメオとジュリエット』あるいは『妹背山婦女庭訓』を思わせるような恋愛をからませ、人間の自然への横暴(無用な殺生、山林の破壊)を自然の側から追及するような形でまとめられた作品です。人物などは古いが主題は新しい、という新作浄瑠璃のありかたのひとつの形としてとてもうまく構成されていると思います。原作はもっと長いものであったらしいのですが、夏休みの親子劇場(当時はそういう名称はなかったのですが)で上演することもあって山田庄一さんがかなり
圧縮された
ようです。子どもたちにはいささか難しかったかなとも思え、ところどころで入れごとをするなどの工夫があったり、あらすじの説明があったりするとよかったのかもしれません。私もこの作品は拝見しましたが、お客さんの反応はよく覚えていません。おもしろいという印象もはっきりとは持てなかったのですが、それはおそらく初演の難しさだと思います。あるいはあの当時はまだ文楽評の仕事をしておらず、メモもあまり熱心に取っていなかったので、記憶に残らなかったのでしょう。
再演は難しいかもしれませんが、もう一度拝見して私なりの感想をきちんと持ちたいものだと思っています。
なおこの時の床は竹本織太夫(のち綱太夫、源太夫)・鶴澤清介、豊竹咲太夫・竹澤宗助、竹本千歳太夫・鶴澤燕二郎(現燕三)ほか、人形は桐竹紋壽、吉田文吾、吉田玉幸、桐竹一暢、吉田簔太郎(現桐竹勘十郎)、吉田玉女(現玉男)、吉田玉也、吉田玉輝、吉田文司ほかの方々。そして、作・雨野士郎、補綴・演出山田庄一、作曲・鶴澤清介、作調藤舎名生のみなさんでした。
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- [2021/06/20 00:00]
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