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LGBTの浄瑠璃(1) 

今、世の中ではLGBT(最近はLGBTQとも)と言われる性的少数者への差別をなくそうという動きが強いうねりになっています。ところが「LGBTは種の保存に反する」とか「道徳的に許されない」といった国会議員がいたらしく、私はもうびっくりを通り越してめまいを起こしそうになりました。どういう判断基準をもってああいうことが言えるのか、信じられないのです。性的少数者というのはいつの時代もいらっしゃったのです。いつの時代もそういう人とともに世の中は成り立っていたのです。同性愛者については、江戸時代にはかなりあからさまに絵に描かれたりしていますよね。トランスジェンダーと言えば平安時代の『とりかへばや物語』もあります。バイセクシャルについても『源氏物語』の主人公の光源氏もそういうところがあります。こんなこと、挙げていったらきりがありません。それは文学、つまり虚構じゃないか、という人もあるかもしれません。しかし、文学は歴史の鏡です。
性的少数者は今後もなくなることは考えられません。だから、現在世の中のうねりとなっているのは、そういう人たちを

    差別する

のはやめましょう、ということです。それなのにあたかも突然出現した異端児であるかのように考えているのか、性的少数者の存在を認めない、あるいは排斥しようとしているとしか思えない、とんでもないことを言い出す人がいるものです。こういう人がいくら大声をあげても、LBGTの人たちがなくなることはありません。
心が女性ならオリンピックの女性の競技に参加させるのか、というすっとぼけた反論をする人もいますが、まったく関係のない話。まともな反論になっていません。
学生さんとLGBTについて話したことがあります。そのとき彼女たちの中に嫌悪感を持つ人などまるでいませんでした。むしろ「そういう人と友だちになりたい」と言っていた人もいました。
学生の中にもそのうちのひとつに該当する人がいたことは知っています。またそれ以外にも同様の方を何人か知っています。つまり、私の周りで性的少数者に反感を持つ人はまずいませんし、私のように付き合いの少ない狭い交流の範囲内でも実際にそういう人はいらっしゃるわけです。
忽然と出現したわけではなく、これまでは沈黙していただけで潜在していたのです。今は堂々と告白する(最近は

    カミングアウト

っていうのでしょうか)人が出てきていて、さらに理解は進んでいるはずなのです。ところが一部に理解しない人がいることは事実で、それはそれでもしかたないのです。世の中にはこういう物分かりの悪い人がいるのも常のことですから。しかし、そういう人がいても「しかたない」からといってそういう人を放置すると、こういう人に限って黙って見ていたりはしないで差別をするから問題なのです。その差別をやめようという話をしているときに差別を助長するような政治家がいるのは情けない気持ちになります。

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