古着
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父が亡くなった時、その遺品をどうすればよいかというのが問題になりました。本などはごっそり処分してしまったようです(私は当時別居していたのでそういう点には関わっていませんでした)。
着るものについては、何しろ私はからだつきがまるで違いますのでもらうことはありませんでした。父は昔の人にしては背が高い方でしたがそれでも170㎝そこそこ。私の方が10㎝以上大きく、手の長さなどもまったく違いました。兄が同じような体格なので、ひょっとしたらいくらか受け継いだのかもしれません。
父はサラリーマンでしたから、私と違って服装には気をつけねばならず、おそらくスーツもいいものを持っていたはずです。ネクタイなんてどんどん新しいものを買っていたのではないかと思います。私ときたら、実は自分でネクタイを買ったことがなく(ほんとなんです)、たぶん、持っているものはほぼ父親のお古だと思います(笑)。それでも問題ないのは、私はネクタイというのをもう何年もしていないからです(笑)。
古着というのは
潔癖症
の方は嫌がられるでしょうが、もともと高貴な人が褒美を与える場合、着ていたものを下げ渡す、ということがあったのです。『源氏物語』では芳香を発する薫という人物が着ていたものを、下賤なものが拝領して、それを着てはいい香りをさせたものですから、まるで似合わないというような話があります。
江戸時代の人も古着は大事にしました。古着屋ももちろんたくさんあったのです。『傾城恋飛脚』「新口村」で、孫右衛門が親切にしてくれる梅川の素性を察して、息子忠兵衛を探索する手が伸びていることを話す際、「お上からも隠し目付、あるひは順礼、古手買ひ、節季候にまで身をやつし・・」といいます。この「古手買ひ」というのは古着や布(あるいは古道具)を買い取ってまたそれを集めて売る商売をした人たちです。
江戸の町にも古着屋はあちこちにあったのですが、古着屋ストリートのようなところもありました。よく知られたところは
柳原土手
や日蔭町などで、柳原土手は神田川が大川(隅田川)に流れ込むあたり、日蔭町は新橋近辺でした。
古着屋の中には粗悪品を扱うひどい店もあったようで、柳原土手ではかなり品質の落ちるものが多く売られていたのだそうです。
日本橋富沢町の古着屋街では、なかなかいい品もあったようです。これにはわけがあって、なんとあの越後屋(三井さんの店です)が売れ残ったものをこの古着屋街の店に流していたようなのです。また、越後屋、大丸屋と並んで江戸の三大呉服商として知られた白木屋もこういうアウトレットの店を出していたのだそうです。
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- [2021/10/02 00:00]
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