仕込みと和歌の技法
- 日々牛歩
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最近、刀剣を愛好する人が多いようです。そういうのが好きなのはオジサンばかりかな、と思ったら、女子大生などでも展覧会があったら見に行く、という人がいます。アニメなどで「名刀」「妖刀」などがよく描かれるようで、それがいくらか影響しているのかもしれません。
江戸時代、墨田川左岸(東側)に面したところに松浦という平戸新田藩のお殿様の屋敷がありました。ここは本所七不思議のひとつである「落葉なき椎」の舞台なのですが、今このあたりは刀剣博物館になっています。両国駅から少し北に歩いた、安田庭園の北側にあります。
当時の刀には、文楽の『伊勢音頭恋寝刃』や『伊達娘恋緋鹿子』にでてくるような、切れ味鋭く、銘のある、美術的価値も高い高価な刀もありますが、なまくらというか、かっこうだけ、というものもあったのでしょう。
仕込み杖
というのがあります。杖と見せかけて実は中味は刀である、というものですね。刀以外にも用いられる言葉の「仕込み」というのは、表面ではさりげない風を装っていながら、実は大きな力を持つものが潜んでいるようすといえばいいでしょうか。
話が代わりますが、小説にも芝居にも「伏線」ともいう「仕込み」があります。さりげない言動やささいな出来事が、あとで大きな意味を持つようにそれとなく言っておくのですね。「そうか、そういうことだったのか」と読者や観衆に気づかせるようにうまく使うととても効果的です。
私も創作浄瑠璃を書くときには仕込みをすることが多いのです。ただ、ここでハッと気づいてほしい、という以前にネタバレしてしまうのであまり上手ではありません。仕込みをするのはなかなか難しいのです。
浄瑠璃で仕込みではないのですが、
掛詞とか縁語
という和歌の技法も使うことがあります。これはもう理解していただかなくてもいいようなもので、いわば私の「自己満足」なのです。古典浄瑠璃では特に掛詞が盛んに用いられますが、江戸時代の人は聴いてすぐに理解できたのでしょうか。たとえば「包む心の内本町」(『曽根崎心中』「生玉社前」)くらいなら「心の内」と地名の「内本町」が掛かっていることはわりあいに簡単に理解できます。同じ「生玉社前」の「焦がるる胸の平野屋」になると現代人にはちょっとわかりにくいかもしれません「胸の『火』」に「平野屋」の「ひ」を掛けるのですね。
私の浄瑠璃を聴いてくださる方の中に、編集者の方がいらっしゃるのですが、このかたはさすがに鋭くて、拙作『落葉なき椎』の中の「汲めど尽きせぬ和泉屋の心は深き大川の」というところで「『汲んでも尽きない泉』に『和泉屋』を、『心は深き』に『深き大川』を掛けているのが分かった」とおっしゃっていました。
掛詞というほどでもないのですが、ちょっとした「しゃれことば」という感じです。こうやって理解してくださるとやはりうれしいです。
最新作では、たとえば「黒髪も少し細れる丸髷のびんなきことの重なりて」という一節に掛詞を入れておきました。「丸髷の鬢(びん)」と「便なき(不都合な)」の掛詞です。あの編集者さん、わかってくださるかな・・。
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- [2021/10/03 00:00]
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コメント
しゃれてみました
一句献上いたします、コホン。これ、自信作です。
カン(勘)じゃない
縋って(スガッテ)ナンボ 梨のつぶて
※勘だけで指示してない
色んな事にすがるしかなかったンヤ、手の打ちようが無しなんだから・・。
※やった!!無しと、梨で季語まで仕込めたぞ、わたし。 あ、
前総理が官房長官時代から、
スガさんなのか、カンさんなのか?声に出さないと覚えられなかった言い訳では、ございません。
カンさんと読まなくなれたと思ったら
お別れなのね・・の意。
※叱られて来い。。 あ、ハイ。
🎵押しEgoさん
私もずっと「カン氏」だと思い続けてきました。昔は藤原は「トウ」、源は「ゲン」なのですから、今さら訂正しなくてもいいですよね。
さて、押しEgoさんの名句の点数はいかに?
カーン!
ざんねん、カネひとつでした。
貯めたい・・
カネって、努力の賜物だと痛感いたしました・・。
♪あの鐘~をぉ~っつ♪
♪鳴らすのォ~は~ ♯♭♭ (タッタッタ♯♭♭)
♪デェ~ビィル~♪
逃げよ、鐘が聴こえへんとこまで・・。
🎵押しEgoさん
大変失礼いたしました。
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