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江戸のジビエ 

学生のころ、友だちに「ゲテモノの店に行こう」と誘われたことがありました。「ゲテモノ」は言い過ぎだと思います。今なら「ジビエ料理店」とでもいう方がいいのかもしれません。熊、鹿、ウサギなどの肉を食べさせる店だったのですが、好んで食べるものではない(笑)というのが私の感想でした。ただ、最近は獣害というのが問題になっていて、もちろん彼らにしたら食べ物があるから食べているだけで罪の意識などあるはずもないのですが、農家の人から見れば「害」になるのですね。そこで、それらの獣をワナにかけたり猟師が狩ったりしてその後食肉にするということがおこなわれているようです。落語に「池田の猪買い」がありますが、大阪府池田市の山の手の方ではイノシシ猟が盛んで、今でも牡丹鍋の店というのはわりあいによくあると思います。
明治になるまでは、原則として四つ足動物は食べませんでした。もっともそれは「原則」であって、鹿はわりあいに食べられていたようです。『粉河寺縁起絵巻』はシカ猟をする人物が前半の主人公で、絵には鹿の皮を干している場面や鹿肉を食べている場面も描かれます。ただし、彼はあるとき狩猟をしていて何やら光を放つ場所を見つけ、そこに堂宇を建立することにします。すると、一人の童子姿の行者がやってきてそのお堂の中に七日間で仏像を造ると言います。七日後に行ってみるとそこには

    千手観音

がありました。これが粉河寺の起源だというのです。余談ですが、後半の話はある長者の娘の病気を行者が治し、実はこの行者は千手観音の化身であったことがわかるのです。この長者の末裔は東大阪の塩川家だと言われます。塩川さんと言えば、最近では衆議院議員になった正十郎氏がいらっしゃいます。
話がそれました。江戸時代までは獣肉は食べなかったと言いながら、実際はそうでもなかったのです。「薬食い」などといって、あくまで滋養のために食べるのだ、ということにしていたのです。明確に猪や鹿を食べるという言い方はしませんでした。猪は牡丹、鹿は紅葉と呼ぶようにしていました。
歌川広重の『名所江戸百景』のなかに「びくに橋雪中」がありますが、ここで大きく描かれている看板の文字に

    山くじら

とあります。これも猪のことです。江戸の人たちは獣肉のことを「ももんじ」とも言いましたが、今でも東京のJR両国駅から南西方向、両国橋のすぐ東側の京葉道路沿いに「もゝんじや」という店があります。大きな猪の看板が目印です。こちらは「山くじらすき焼き ももんじや」と名乗っていらっしゃいます。

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