学者の言うこと
- 日々牛歩
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学問をしている人、しかも相当深く研究している人の言うことはかなり説得力があります。もちろん完璧ではありませんからそういう人でも間違ったことを言う可能性もあるのです。それでも、あるテーマに打ち込んで勉強してきたことは伊達ではないと思います。私のようなものは三文の価値もありませんが、人品賤しからず学問もできる人というのが稀にではありますが必ずいるものです。私を見て世の中の教員というのはこの程度のものだなどと思わないでいただきたいのです。
先日発表されたところによりますと、ノーベル賞の物理学部門で、今年は日本人の
真鍋さん
という方が受賞されるとのことでした。「日本の」ではなく「日本人の」と言ったのは、この方はもっぱらアメリカで研究され、一時、日本で仕事をなさった時もやはりアメリカがいいとすぐにあちらに帰ってしまわれ、今後も日本には帰りたくないとまでおっしゃっているからです。理系の学問は日本ではやりにくい、というのは以前から言われていますが、改めて浮き彫りにされたような気がします。
どういう研究をされているのか、あまりよくは知りませんが、この方のインタビューが新聞にいくらか出ていましたので読んでみました。
気になったポイントは三つでした。ひとつは、日本では研究しにくい、費用が出ない、という上記の問題です。次に、日本の学校教育は
好奇心を育てる
ものになっていないと指摘されていたことです。これは理系に限りません。高校の国語の授業には、実務的な文章を入れて文学的なものを外すことになりました。こういう「役に立つ」という目先のことを考えた「教育」は間違った方針によるものだと思います。学生に聞いた限りでは、高校の現代文の教科書で覚えているものというと『舞姫』『山月記』『こころ』が定番でした。いずれも少し前の時代の名作で難しい面もあるのですが、「エリス」という名や、虎になった男の「あぶないところだった」というつぶやきや、「先生」の苦悶は多感な高校生によく響くのだろうと思います。私自身、『山月記』を読んだときの感銘は忘れ難いものがあります。また、高校での教育実習で志賀直哉の作品を授業しましたが、生徒が食いついてくるのがよくわかりました。短歌や俳句でもよく話すとおもしろがって暗記したり、中にはパロディを作って遊んだりする生徒もいました。
真鍋さんの話でもうひとつ気になったのは、政治が学者の声に耳を傾けないことです。日本では気に入らない学者を学術会議から外すという横暴すら行われています。新しい総理大臣になった人は、こういうことをどう考えるのでしょうか。「いやぁ、それは前の人がやったことですから」なんてたわけたことを言っていては、単なる
ボンクラ三世議員
と言われてしまいます。「日本人を拉致したのは前の人ですから」と言ってにやにやしている人と何ら変わりないと思います。
受賞という慶事があった場合、よく総理大臣がわざわざ記者会見の会場に電話して、しらじらしくお祝いを言ったりして点数を稼ごうとします。電話する直前に「この人はどういう研究者で何をほめればいいのか」を周囲の人に聞いてはそのメモを棒読みしているのではないかと想像しています。しかし、学者のいうことをまともに聞かない政治家がいったいどのツラ下げてお祝いを口にするのか、と私は腹立たしく思っています。
学者も間違いを犯します。しかし、それでも信頼のおける学者のいうことにはしっかり耳を傾ける必要があります。
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- [2021/10/16 00:00]
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コメント
もう1つありました。
真鍋さんは「日本では周りのひとに合わさないといけませんが、わたしは苦手なんです」とおっしゃってました。
わたしは真鍋さんのような頭脳も実績も持ち合わせていませんが、この点だけは同じです。
♬やたけたの熊さん
私も苦手です(笑)。
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