袈裟御前のはなし(1)
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私が四年制大学の国文科で初めて教えたのは某女子大の非常勤講師としてでした。
当時短大というとどこか嫁入りや就職の肩書づくりのような雰囲気があって、話をしていてもあまり反応は良くなかったのです。
しかしさすがに四年制の国文科ほんとうに文学が好きで来ている人がいました。
その最初の教え子に当たる人の中でもピカイチだった人は今もメールなどでやりとりがあって、実はこのブログでもしばしば
押し得子
のハンドルネームでコメントをくださっています。
彼女は私が初めて教室に行った時から覚えているような熱心な人で、成績もよかったはずです。
その彼女から先日芥川龍之介『袈裟と盛遠』を一生懸命読んだというようなことをメールで教えてもらいました。
実はこのところ私は袈裟御前と遠藤盛遠について興味を持っていた折でしたので、何たる偶然、と思ったところでした。
遠藤盛遠はのちの文覚上人のこと。『平家物語』にも「文覚荒行」のくだりがあります。
この人がなぜ発心したのかについて、『平家物語』の語り本系とされる、要するに我々がすぐに手に取ることのできる本にはその理由が書かれていません。ところが、読み本系の延慶本『平家物語』や『源平盛衰記』などにはかなり詳しく書かれているのです。
有名な話ではありますが、ここでは『源平盛衰記』巻十九の
「文覚発心の事」
によって、それを略述しておきます。
この章段では「文覚道心の起りを尋ぬれば女ゆゑなりけり」といきなりドキッとするようなことが書かれています。
遠藤盛遠には東北の衣川に縁付いたおばがいました。この人は今は都に戻っていて、衣川殿と呼ばれて一人で暮らしているのですが、娘がいます。名を「あとま」と言いましたが、「袈裟」とも呼ばれていたのです。
衣川殿も美人だったのですが、娘がまた大変美しい人で「毛嬙(もうしょう)西施が再誕か観音勢至の垂迹か」と言われるほどだったのです。この人は源左衛門尉渡という人と結婚したのですが、その平穏な生活は長くは続きませんでした。
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- [2021/10/22 00:00]
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