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烈女袈裟御前 

遠藤盛遠、源渡(左衛門尉)、そして袈裟御前の話はあまりにもすさまじいものですが、それだけに人口に膾炙することになりました。
本来は『平家物語』のほんの寄り道のような話ですが、『平家物語』はこういう話の積み重ねのような性質も持っていると思われます。
もともとは文覚の発心の話ですが、いつしか袈裟御前にスポットライトがあたるようにもなりました。彼女が一番愛したのは誰だったのか。いろんな考えができるとは思いますが、後世、彼女はたいへんな

    貞女、烈女

として評判になり、多くの人の共感を得るようになりました。
江戸時代には『鳥羽恋塚物語』などの浄瑠璃になり、三代豊国とか芳年とか、多くの絵師が題材にしました。
近代では、芥川龍之介「袈裟と盛遠」、森田草平「袈裟御前」、菊池寛「袈裟の良人」、長田秀雄「袈裟の魂」などの作品に昇華しました。
貞女がもてはやされた時代にはまさに亀鑑たるべき人だったでしょう。
こんな話があります。芥川龍之介が『中央公論』に「袈裟と盛遠」を発表したあと、大阪の人から「袈裟御前と盛遠に関係があったと描いているのは、烈女たる袈裟御前の

    名を汚すもの

で、私はこの作品を評価しない」という手紙が芥川のところに届いたのです。すると芥川はすぐに「源平盛衰記にそういう記述がある」という返事を書いたそうです。
材料を吟味して書いた芥川の姿勢と、烈女のイメージを壊すのは許せないと考えた某氏の発想の違いがおもしろい話だと思います。
京都の伏見区下鳥羽城之越町にある恋塚寺は文覚が袈裟御前を弔うために建てた寺とされます。

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