複雑なうれしさ(1)
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プロ野球パ・リーグでオリックスが優勝しました。
私は子どものころから阪急ブレーヴズのファンで、巨人・大鵬・卵焼きと言われた時代でも、弱くても、人気がなくても阪急でした。パ・リーグというだけで人気がなかったのに、さらにそのうえに近鉄と阪急は弱いことで知られた時代がありました。ただし、あれだけ弱かったのに、不思議なことに350勝投手の米田さんとか300勝投手の梶本さんとか、すごい選手がいたのですけれども。そののち、昭和50年代には山田、今井、福本、簑田、加藤、中沢、マルカーノ、ウィリアムズらを擁して、黄金時代も築きました。私はあの時代に一番熱心に球場に行きました。ヤクルトとの日本シリーズでは大杉選手のレフトへの大飛球をめぐってホームランという判定を不服とした上田監督が猛抗議。79分も中断するという前代未聞の出来事もありました(今なら上田さんが手で四角を作って審判にアピールすればビデオ判定であっという間に裁定が下るのですけどね)。東京発のスポーツニュースは巨人だ、ヤクルトだ、西武だとあっちの方の球団を重視して、阪急の試合になると何だかめんどくさそうに放送していたような気がします(ひがみかな)。
そうこうしているうちに、人気がない=もうからないということで、阪急電鉄は球団の身売りを決めました。相手は
オリエントリース
という、世情に疎い私は聞いたこともない企業でした。球団名はオリエントリース・ブレーヴズになるのだろうかと思ったら、この会社がオリックスの名を変え、オリックス・ブレーヴズになったのでした。やがて本拠地が西宮から神戸に移り、球団名はオリックス・ブルーウェイブになりましたが、神戸といっても中心地からは離れたところで、私は観に行くこともできませんでした。そうなると、どうしても阪急時代に比べると心は離れていきます。ただ、旧阪急の選手がたくさんいたわけですから、興味は持ち続けていました。
そんな時に起こったのが阪神淡路大震災でした。そして、選手たちも何らかの被害を受けながら、その春からは
「がんばろうKOBE」
を合言葉にイチロー、田口、星野、中島、藤井らが頑張り、優勝もしたのでした。さすがにあのときは嬉しかったのを覚えています。
イチロー選手は本当に素晴らしくて、私は彼の二塁打がとても印象に残っています。あのまま日本にいたら、4割バッターになっていただろうと思います。
そして近鉄が球団を支えきれなくなり、オリックスと新球団の楽天に合流し、オリックスはやがて近鉄時代のバッファローズを名乗るようになってしまいました。さらには本拠地も大阪市に移ってしまい、阪急を母体としていたはずなのに、いつの間にか近鉄になってしまったようで、また少し心が離れました。
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- [2021/11/02 00:00]
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