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リッチ 

わたしに縁のない言葉の中でももっとも縁遠いのが「リッチ(rich)」かもしれません(笑)。といっても、それは「お金持ち」ということを基準にした場合のことで、人生で肝心なのはそれだけでないことは申すまでもありません。むしろお金持ちでも心の「プア(poor)」な人はいくらでもいるのです。
先日、資生堂の元社長の福原義春さんの本を読んでいました。資生堂の創業者は福原有信氏。この人が薬局からスタートして化粧品に進み、その子息の福原信三氏が初代社長として資生堂が本格的にスタートしました。もともとはいわば福原家の会社ではありますが、初代と5代目の信和氏(初代の長兄の子)、そして10代の義春氏(初代の弟の子)だけが社長に就いています。
信三氏は画家を目指した人でもあり写真家としても活躍し、会社に意匠部というセクションを作って商品のデザインに工夫を凝らしたそうです。
たしかに、資生堂のデザインは、化粧品にはあまり縁のない私でも目を惹かれるものがありました。
この人の言葉に「ものごとは

  すべてリッチでなければならない」

というのがあったそうです。ほかにも「商品をしてすべてを語らしめよ」「ブランドは世界に通用するものでなければならない」という言葉もあって、これらが資生堂の根本精神となったのです。
この「リッチ」という言葉を義春氏は「究極のエレガンス」と言い換えています。また「本物や豊かさのこと」ともおっしゃっています。
昨今、美しいものよりも機能的なものが重視されるようになりました。確かにそれらは便利で効率の良い働きをするものだと思います。ただ、そういうものばかりになってしまうと「殺伐とした社会になってしまうのではないか」と義春氏はおっしゃいます。そして本当にいいものとそうでないもの、本当に美しいものとそうでないもの、これらを判断するには、

    「知」や「教養」

という、ものを測る新しいものさしが必要だともおっしゃいます。
私は文学の勉強をしてきてそれについて学生さんや一般の方々にお話をする仕事をしてきました。大学によっては、自分も専門家になろうと思っている人はいます。しかし私がお話ししてきた人の中に、将来学者になろうというような人はひとりとしていませんでした。それだけに私は「教養」を高めることをお手伝いすればいいのだろうと思ってきたのです。
専門的なこと、あるいは現実生活に役立つことでなければ意味がないというのは大学が大衆化した現代にあっては正しくないと思います。私も教養の重要性を年を追うごとに強く感じるようになっています。

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