月食
- 平安王朝 和歌
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11月19日は月食でした。しかも、満月が徐々に欠けていってやがて元に戻るというのではなく、東の空に三日月より少し大きめの月が見えたかと思うとどんどん小さくなっていき、皆既月食の一歩手前まで欠けたところでまた大きくなっていったのです。科学の未発達の時代にこれを見たら、満月のはずなのに異常だ、というので恐れおののいたかもしれない、と思ったほどでした。
もっとも平安時代には天文博士という人がいましたし、月食の予報はできたのです。ですから、「月食の予報なのにはっきり見えなかった」というような記録が貴族の日記には見えることがあります。彼らはそれを
「不正見(現)」
と書きました。
さてこの日の夕暮れ、私はいつものように徘徊していたのですが(笑)、しばしば行く公園のあたりでカメラを持った人がベンチに腰を下ろしているのに出会いました。もうすぐ月が出るという時刻でした。繊月が出ると何とも不思議な気持ちになりました。三日月なら西の空にしか見えないからです。
もうあたりは真っ暗でしたが、だんだん人の数が増えてきたような気がしました。みなさん立ち止まって東の空を見上げています。親に引率された子どもたちが集まって歓声を上げてもいました。名月でありませんが、多くの人が月を愛でるというのはなかなかいい風景です。
望月といえば、
藤原道長
の「この世をばわがよとぞ思ふ望月の欠けたることのなしと思へば」という歌を思い出します。寛仁二年十月十六日に娘の威子が中宮になり、そのときに彼の自宅である土御門第で催された宴席で詠まれたのがこの歌なのです。これを書き留めているのは藤原実資という人の日記(『小右記』)です。この日の道長の日記には「余読和哥、人々詠之」と書かれているだけで歌そのものは記されていないのです。道長自身はそれほど記録する価値があるとは思っていなかったのかもしれません。
「望月の欠けたることのなし」と彼は詠みましたが、前述のように当時も月食は予報までされていたわけですから、「望月の欠けた」姿を彼は何度も見ていたのです。
そしてこのころ、彼はすでに病気がちで、糖尿によるのか、目が不自由になっていたようです。この歌を詠んだ翌日にはすぐ目の前で話をしていた実資に向かって「目が見えにくくて、あなたの顔もよくわからない」とさえ言っています。望月はやはり欠けます。権力にあぐらをかいている者でも、思わぬ時に力を失っていくのです。
月食の日の夕方、私はそんなことを考えながら、真っ暗な道をうろうろしていました。
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- [2021/11/27 00:00]
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