4月の空
- 日々牛歩
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この十年ほど、桜の満開は3月が多かったのではないでしょうか。私が子どものころは、4月8日が入学式で、その頃が満開だったような気がします。満開は過ぎていたかもしれませんが、少なくともまだ花はじゅうぶん残っていたと思うのです。ところが、例の「温暖化」とやらで、季節が変になってきて、3月になると暖かい日が増え、桜も季節を勘違いして私の子どものころより1週間から10日くらい早く咲くようになってきたのです。もちろん例外はあって、4月5日を過ぎてから満開という年もこの何年かの間にあったような気がします。
今年もその年と同じように4月になって満開がやってきました。私の居住地では、4月5日前後が満開だったと思います。しかも好天で花散らしの雨が降らなかったので長続きしました。
今年の4月1日は旧暦でいうとちょうど1か月違いの
弥生一日
でした。ということは4月5日は弥生五日。「さくら、さくら、弥生の空は見渡す限り・・」という歌のとおりになったのです。
「さくら」の歌では桜の花を「霞か雲か」と言っています。平安時代になると「霞」は春の景物で、秋の「霧」に対応します(万葉集の時代は春に立ち込めるのも「霧」ということがありました)。科学的には同じものなのかもしれませんが、王朝文化の世界では春は霞、秋は霧です。「見渡せば山もと霞む水無瀬川夕べは秋と何思ひけむ」という後鳥羽院の歌は「霞」を詠んでいますから春の歌、寂蓮法師の「むらさめの露もまだひぬまきの葉に霧立ちのぼる秋の夕暮れ」は「霧」で秋の歌です。
また、桜は雲に喩えられるのも珍しいことではありません。「桜花咲きにけらしなあしひきの山のかひより見ゆる白雲」(紀貫之)などがその例です。春の青空に漂う雲のように、桜が咲いているのです。この歌は「桜花が咲いたらしいな」と推定するようにいっていますので、山の彼方に見える雲を「あれは雲じゃなくて桜のようだ」と見つめているのでしょう。
この春の桜を見ていてしみじみ思ったのですが、桜の花の背景には
青空
にまさるものはないでしょうね。雲に喩えられるのも、青空があればこそだと思うのです。そんなことを思いながら空を見上げてみると、4月の青空は3月のそれよりも深い色をしているような気もしてきました。実際はほとんど変わらないのでしょうが、これも科学とは別のところで、桜には4月の、あるいは弥生の青空が似合う、と私は認定しました(笑)。
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- [2022/04/27 00:00]
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