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バイアス 

今の世の中、英語の氾濫はおびただしいものがあります。昔からそれは言われていたことではありましたが、せいぜい「カテゴリー」とか「アイデンティティ」とか、日本語にすると却って難解だったり、日本語の単語に置き換えにくかったりする言葉だったように思います。
ところが、パソコンが普及して、一気に難しい言葉が増えたように思います。私もパソコンを触るようになってから覚えた英語はかなり多いのです。ただ、外国語はどうしても無機質に感じられますので、覚えたつもりでも違った意味で解釈していたり誤解のまま使い続けていたりするので困ったものです。また、略語も多いので、それもしばしば誤用、誤解することがあります。インテリの人たちはどこででも平気で英語や頭文字だけの略語を使いますから、それを読まされる私のような非インテリは、はなはだ迷惑です。自分が書く(話す)言葉というのは相手が読む(聞く)ものなので、専門家だけの読む論文ならともかく、啓蒙的な文章では自分の知的レベルで表現しないでほしいと思うのですが、難しい言葉を使ってこそインテリということなのか、容赦してくれません。
パソコン用語だけでなく、

    社会問題

を表わす言葉でもどんどん英語のまま使われるようになっています。「ジェンダー」という言葉は、私の場合文学研究に関して出会った言葉なのですが、最初は何のことやらわかりませんでした。そんなときはいちいち英和辞典を引くなり、パソコンで検索するなりしないと手に負えないのです。今やこんな言葉は毎日のように新聞で見かけるようになりました。
「バイアスがかかる」という言葉も今やあたりまえのように使われるようになりました。最初のうちは裁縫用語としての意味しか分からず、裁縫とはほぼ無縁な私のあずかり知らぬ言葉だと思っていたくらいです(笑)。今は何とかわかるようになりましたが、自分ではあまり使おうとは思わない言葉です。
これを「偏る」「偏見を持つ」「差別する」と日本語で言ってはいけないものなのでしょうか。誰かが使い始めると、使わないとカッコ悪いという人が追随してしまうのではないかと思えてなりません。単に英語ができない人間の

    ひがみ

かな、とは思うのですが(笑)。
最近読んだ本の中に「AIに関するバイアス」という言葉が出てきたのですが、こういう言葉を見た瞬間、私は先を読みたくなくなるのです(笑)。しかし我慢して読んでみると、人間が人工知能に与えたデータが偏っていると、人工知能の判断も偏ってしまう、ということらしいのです。
ある大手企業が採用試験のために人工知能を開発したのですが、それが応募者の履歴書の中にある「女子(woman)」という単語を低く評価するという傾向が出てしまったそうです。この本では、たとえば「女子大学」「女子チェスクラブ部長」などが例として挙げられています。要するに、その会社では男性社員が多いために、採用者に悪意はないのに、AIが勝手に女性を差別してしまっていたのだそうです。
これが「AIのバイアス」の例なのですね。
幸い私が読んだ本は、わかりやすく説明してくれていましたので問題ありませんでしたが、著者はインテリ、編集者もインテリになると、その人たちにとって当たり前の言葉が一般には通用しない、ということは十分にありうることだと思います。
私自身、古典文学についての文章を書いていますが、この場合も専門用語はできるだけ避けるようにしています。それでも、いいカッコをしてつい難しい表現をしそうになることはしばしばあります。気を付けます。

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