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マリー・アントワネットとカンパン夫人(2) 

カンパン夫人(Jeanne-Louise-Henriette Campan 1752~1822)の『マリーアントワネットの私生活についての回想』(Mémoires sur la vie privée de Marie-Antoinette)は、英語でなら無料のe-bookで読めることがわかり、ホッとしました。しかし、それもつかの間、私は英語も苦手だったことに気が付いたのです(笑)。なんといっても隅から隅までアルファベットで、日本語の注などどこにもついていませんから、出産の話がどこに出てくるかすらわからないのです。
こうなったら見当をつけてそれらしい言葉を探すほかはありません。最初の子であるマリー・テレーズ・シャルロットが生まれたのは1778年ですから、王妃となった4年後。これが一つの目安になるだろうと思って、探したところ、意外に簡単にわかりました。そして1788(年)という数字にも出会えたのです。
ここからはもう簡単でした。マリー・テレーズ・シャルロットが生まれたのはその年の12月ですので、Decemberという言葉もヒントになりました。英語が苦手の割にはうまくいったものです(笑)。
まず「マリー・テレーズと呼ばれる女子が生まれた」ということが書かれていて、そのあとに

    出産の場

の記録が続いていました。
そこに書かれていたことから少し抜き書きします(原文を相当崩しています)。ただし、私の英語力ですので、間違いはかなりあると思います(笑)。
まず「王の娘が12月19日の正午より前に誕生した。これがマリー・テレーゼ・シャルロット(1778-1861)である」といったうえで、実際の様子を次のように書き留めています。

あらゆる人が、女王の出産の瞬間に無差別に部屋に入ることが許されるというしきたりがあった。
産科医が「王妃は間もなく出産なさいます」と大きな声を上げると、産室になだれ込んできた人があまりに多かったので王妃はほとんど卒倒した。
女子が生まれた。
王妃は頭に血が上ったので産科医は「窓を開けて換気してください。お湯を持ってきてください」と言って、瀉血することにした。
お湯の準備がはかどらなかったので、産科医はそれを待たずに瀉血すると、王妃は目を開けた。

瀉血は中世ヨーロッパではよく行われた「治療法」で、通常腕から血を抜いたようです(瀉血の場面を描いた絵もいろいろ残っています)が、ここでは足から抜いています。実際の効果については科学的には

    疑問符が付く

ようですが、当時は有効な手段と思われていたようです。しかし、血を抜く際に切ったところから感染症を引き起こすこともあるようでむやみにおこなうと病状が悪化するばかりか、死に至ることもあるようです。モーツアルトも亡くなる直前に瀉血をおこなったのが死期を早めたのではないかと言われています。
マリー・アントワネットはともかくも意識を取り戻して赤ん坊を抱くことができました。当時のフランスでは女子には王位継承権はありませんでしたが、マリー・アントワネットはむしろそれゆえに喜んだようでした。この子は国のものではない、私のものだ、と。しかし王位継承権のある子を産むことが王妃には求められ、王妃の実母であるマリア・テレジアは早く次の子を産むように努力しなさい、と忠告もしています。
それにしても、カンパン夫人が残してくれたこの詳細な記録は、マリー・アントワネットの生涯を知るための一級史料となったのでした。
マリーアントワネットの伝記として有名なものにシュテファン・ツヴァイクのものがありますが、ツヴァイクもカンパン夫人には感謝しているのではないでしょうか。

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