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おさな妻 

富島健夫という作家がいました。この人は芥川賞候補になった作品も書きましたが、青春小説も書き、その作品「おさな妻」はいろんな意味でブームになりました。保育園でアルバイトをする女子高生が、保育園に来ている女児(母親を亡くしている)から慕われ、やがてその父親と結婚するのです。映画にもなって、関根恵子(現在は高橋恵子)さんが主演、相手役は新克利さんでした。関根さんは何となく大人っぽい印象の人でしたが、当時15歳という、信じられないような若さでした。
しかし、平安時代の人は十代で結婚するなんて当たり前でした。「令」と呼ばれる当時の規則によれば、男子は十五歳、女子は十三歳から結婚できました。もちろん数え年ですから、今でいうなら男子は中学2年生、女子は小学6年生から結婚できたことになります。しかし、規則なんてお構いなしなのは権力者の常です。そんなものは庶民を縛るためのものであって、我々上級国民は何をしてもかまわないのさ、という考えの持ち主は現代の(一部の)政治家だけではないのです。
藤原道長はわが娘を一日も早く入内させたいと思っていました。それは、娘が皇子を生んで、その皇子が皇位に即けば、自分は天皇の

    外祖父

になって名実ともに時の第一人者になれるからです。
そして道長は長女の彰子がまだ十二歳の時に入内させたのです。今なら小学校5年生。すぐに子どもができるはずがないことは道長にもわかっていたはずです。まずは自分の娘を天皇の妃の中で最上位に置くこと、つまり中宮にすることが最初の目的でした。しかし実際はすでに中宮はいたのです。それは道長の兄で亡くなった道隆の娘でした。道長は強引に道隆の娘を皇后、自分の娘を中宮とするという、離れ業をしてのけたのです。しかも道隆の娘に男子が誕生しても、道長はおざなりなまともに祝う姿勢すら見せません。この男子はなかなか優秀な子だったらしいのですが、結局は即位することはかないませんでした。
数年のうちには子供ができるだろう、と道長は思ったかもしれませんが、結局道長の娘に天皇の子が生まれたのはそれから

    9年後

のことでした。
架空の人物でいうと、『源氏物語』の光源氏は十二歳の時に四つ年上の女性と結婚しています。そしてこの女性(葵の上)が出産直後に亡くなると、すぐに八歳年少と思われる女性(紫の上)を強引にわがものにしてしまいます。光源氏二十二歳、ということはこの女性は十四歳くらいです。紫の上は、これまでは光源氏を、いつも一緒に遊び、筆や和歌の指導をしてくれる「おままごとの夫」のように感じていたようで、それだけに突然男の欲望をむき出しにしてきた光源氏のやり方に強い不満を感じました。
世間では、葵の上がなくなったら六条御息所という、光源氏より七歳も年長の女性が正妻の地位に就くだろうと予想していたのですが、そうではありませんでした。
葵の上の、物語での役割は光源氏の子を残すことで終わり、その退場の直後に、
読者も驚くほどに一気に新たなヒロインが作り出されました。紫式部という人の、物語作者としての冷徹なまでのすさまじさを感じます。

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