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議論は苦手 

日本人は議論することが苦手だといわれます。私もその一人だと思います。
議論とひとくちに言いますが、この日本語にあたる英語にはけっこういろいろあります。和英辞典を見てみると、自分の考えを主張するのはargument、話し合うのはdiscussion、論争するのはdispute、討論はdebate・・などと出てきます。こういう具合に細かく区別するのは、やはりあちらは議論が日常的でいろいろな形を区別しないわけにはいかないからでしょう。
賛成派と反対派に分かれて論じ合うことを練習するのはdebateで、アメリカ人などはこういうことが得意だとされます。小さいころからこういうことを訓練していているからだといわれます。だいたいアメリカというところは(って、よく知らないのですが)、何でも裁判で、

    正か邪か

の決着をつけないと気が済まない国民性があると思います。日本人は比較的そういう点では妥協案、落としどころに持ち込んで白か黒かを決めつけずに何とか灰色で済ませようという風潮があるのではないでしょうか。
最近、あるお医者さんの本を読んだのですが、私が読み始めた目的とは別に、この議論に関することが書かれていました。この方はかなり前から医学以外の面でも意見を発信されていて、さらにこのたびのウイルスのことで一般の人にもよく知られるようになった方で、岩田さんとおっしゃいます。
岩田さんによれば、医学の世界でも日本人は議論が下手で、自分の言いたいことは言うけれど、他人の言葉には耳を貸さないことが多いのだそうです。では、例えば学会などで意思を決定するときはどうなるのかというと「エライ人」の

    鶴の一声

などで物事が決まったりするのだそうです。岩田さんは「意思決定の方法としてはあまり優れた方法とはいえません」(岩田健太郎『食べ物のことはからだに訊け!』)と書いていらっしゃいました。
岩田さんが紹介されているアメリカの競技ディベート(competitive debate)では、2つのチームがある命題について賛成派(affirmative)と反対派(negative)に分かれて交互に自説を主張し、審判が優劣を決めるのだそうです。こういうことを子どものころからおこなっているのでアメリカ人は議論のテクニックに優れているそうです。ところが岩田さんはおもしろいことをおっしゃいます。このレベルの高い議論が生み出す結論はあまりぱっとしないというのです。この方はなかなか皮肉なことを歯に衣着せずおっしゃるのですが、健康に関するアメリカの議論はとてもロジックとして優れているのに、アメリカ人が際立って健康になったという話は聞かない、とのことです。なるほど、説得力がありますね。どうもそこには、議論が目的化してしまって「勝てば正義」という現実があるからのようです。
それで思うのですが、アメリカの議論は素晴らしいと思っているのか、うまくメディアを使って「相手を言い負かして喜んでいる」日本人もいますよね。なるほどロジックとしては高級なのかもしれませんが、そういう人の結論はやはり「ぱっとしない」ような気がしてならないのです。

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