小春日和
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初冬、旧暦十月は神無月と言われましたが、「小春」の名も知られています。『心中天網島』の紀伊国屋小春はまさに十月に治兵衛と心中を果たしました。「こはる」「しょうしゅん」と読まれて、俳句では冬の季語にもなっています。
冬とは言え、春のように暖かい晴れの日が多く、それが名前の由来となっているようです。「小春日和」と熟した言葉がよく用いられます。
今年の旧暦十月は今の暦では10月25日から11月23日までです。
さすがに寒い日も少なくありませんが、ポカポカするような日もあります。今月2日、つまり
旧暦十月九日
はまさに小春日和、風もあまりなく、上着が要らないくらいでした。この日、私は短歌の材料を探すために近くの公園に行っていました。早くも木々がとてもきれいに色づいていました。
普通ならこの紅葉を題材にして詠みたくなるのですが、なかなか言葉が湧いてきません。そこで公園のベンチに腰を下ろして、雲の動きを眺めていました。いかにも「リタイヤした初老の人物が家にいるのも寂しくてすることもなく公園に来ている」という図だったと思います。思わず『ゴンドラの歌』を口ずさもうかと思いました(笑)。
さて、しばらく雲を見ていると、刻々と変わる形が、一瞬「花束を贈る人」に見えました。また別の雲は「犬の接吻」にも見えたのです。あとでFacebookにその時の写真を載せたら、「花束」のほうは賛同者があって「(花束に)見えます」と言っていただきました。一方の「犬」はまるでわかってくださるかたはなく、どうやら私の偏見のようでした。だいたい絵のセンスのない人間ですから、私の見立てがおかしいのだと思います。
それでもこれでひとつの歌ができました。
するとそこに鳩が一羽「何か食べ物を持っているのではないか」という顔をして(?)近づいてきました。これも何かネタにならないかと思ったのですが、ダメでした。
今度は、どこかの保育園の先生と園児と思われるグループが「お散歩」にやってきました。何をするのかと思ったら、子どもが地面にしゃがみ込みます。私はまったく気がつかなかったのですが、そこには白樫の木が植えられていて、
どんぐり
がたくさん落ちていたのです。上ばかり見ていてはいけないのですね。
園児が次々に拾うと、先生はそのつど腰をかがめてビニール袋の口を開けてその中に入れさせてやっています。ごくろうさまです。ひとりあたり何十個も採ったのではないかと思います。まだ木から落ちていない実をみつけた保育士さんが「あそこにあるよ」と指さすと、「だっこして」と子どもがせがみます。ここでも保育士さんはいやな顔ひとつせずひょいと抱き上げて見せてやっていました。
これがとてもいい雰囲気で、何か詠めそうだと苦吟した結果、これまた一首できました。結局この日は五首の短歌ができて、気持ちよく公園を離れることができました。小春の詠ませてくれた短歌でした。
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- [2022/11/12 00:00]
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