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園井恵子さん 

私は女優さんに憧れるということがあまりありません。海外の人では古くはオードリー・ヘプバーン、比較的新しいところではペネロペ・クルスでしょうか。日本人では、吉永小百合さんも映画ではあまり見ていませんし、これと言って思い浮かぶ人はありません。かろうじて、テレビによく出られる方で沢口靖子さんはどこかとぼけたようなところもあって、かわいくて好きです(笑)。
最近、びっくりするようなきれいな人を見つけました。知らない人でしたので、よけいに驚きました。
手塚治虫さんの書かれた「私の宝塚」というエッセイの中に出てくる人で、手塚さんが宝塚市にお住まいだった時にご近所だったのです。手塚さんは子どものころに兵庫県宝塚市御殿山というところにお住まいで、お隣は鳥居さんというお宅。ここの姉妹はお姉さんが天津乙女、妹さんが雲野かよ子。お姉さんは春日野八千代さんらとともに宝塚の至宝とまで言われた歌劇団のスターでいらっしゃいました。昔の宝塚の生徒さんは『百人一首』から名前を付けられましたので(霧立のぼる、小倉みゆき、瀧川末子、神代錦、瀬尾はやみ・・など)鳥居姉妹の芸名も「天つ風雲の通ひ路吹きとぢよをとめの姿しばしとどめむ」に由来することは申すまでもありません。また、隣町には越路吹雪さんもお住まいだったそうです。そして、もうお一人、ご近所だったというのが、やはり宝塚歌劇団の

    園井恵子

さんだったのです。私は不覚にもどういう方か存じ上げず、調べてみたのです。園井さんは大正二年(1913)のお生まれ。竹本越路太夫師匠と同い年ですね。岩手県出身で宝塚音楽学校から宝塚歌劇団に入られました。最初の芸名は笠縫清乃、そして、新劇の苦楽座(丸山定夫、永田靖、多々良純、佐野浅夫らが所属)に移り、映画の『無法松の一生』(稲垣浩監督、阪東妻三郎、月形龍之介ら出演)では吉岡夫人という大役を務められました。この映画を観ていれば絶対に存じ上げていたはずなのに、日本映画はほんとうに無知なものですから・・。園井さんは、その後は映画に残らず苦楽座で演技を磨かれました。戦時下にあって、苦楽座は「桜隊」と改めて広島市を根拠地として慰問団のような形で演劇を続けたそうです。ここに至って「ああ、そうか」と、私はやっと思い出したのです。井上ひさし『紙屋町さくらホテル』に描かれている、あの劇団だ、と。まったく鈍い人間です。
そして昭和20年8月6日、園井さんが32歳の誕生日を迎えられたその日にあの忌まわしい

    原子爆弾

が投下されたのです。園井さんはすぐに症状が出たわけではなく、ご本人は助かったと思ったそうです。やがて敗戦となり、これで演劇に専念できると思ったところ、神戸市で容態が急変して21日に亡くなったそうです。
この方の写真はかなり残っていますが、どれを見ても本当に美しく、演技もすばらしかったそうですので、もし何ごともなければ戦後の演劇史、映画史に残るような活躍をされただろうと残念でなりません。なんと、3年前には千和裕之『流れる雲を友に 園井恵子の生涯』という本が出ていて、ぜひ読んでみたいと思っています。
今後、「好きな女優さんは?」と聞かれたら、迷わずこの方のお名前を挙げたいと思っています。

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コメント

藤十郎さん

「櫻隊全滅: ある劇団の原爆殉難記」という本が出ていますね。

近くの図書館の棚にありまだ読む勇気がありませんが、アメリカの罪深さが題名だけで伝わってきます。

https://www.amazon.co.jp/%E6%A1%9C%E9%9A%8A%E5%85%A8%E6%BB%85-%E6%B1%9F%E6%B4%A5-%E8%90%A9%E6%9E%9D/dp/4624410327


原爆がなかったら日本の演劇史上大きな足跡を残されたであろう逸材の方がそろっていたそうですね。

以下のサイトで園井恵子さんのご紹介もありました。

>桜隊は「新劇の団十郎」とも称された名優、丸山定夫が率いた移動劇団である。

〈原爆で全滅した桜隊 追悼会がこの夏、活動休止に〉

https://webronza.asahi.com/politics/articles/2018071900001.html




🎵如月さん

ありがとうございます。
新藤兼人『さくら隊8月6日』堀川惠子『戦禍に生きた演劇人たち 』などもあります。
いつかまとめて読んでみたいです。

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