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子を𠮟る 

親に叱られた記憶はもちろんいくつもあります。どちらかというとやんちゃ、あるいはわんぱくだったのは兄の方で、私はついでに叱られたこともあって、ずいぶん損をしました(笑)。
自分が親になると、叱ることがとても下手で、あまり声を荒らげた記憶はありませんし、手をあげたことは皆無だと思います。幸い子どもたちは変な方向に進まずに頑張ってくれていますが、それは私の教育がよかったわけでなく、私が教育しなかったことが結果的によかったのかもしれません(笑)。あるいは彼らは親を反面教師にしたのかもしれず、それなら大いに納得できます。こんな人間にはなるな、と素顔を見せてきましたから。
前川佐美雄という人は、息子さんの佐重郎氏によるとかなりの癇癪持ちだったようです。奥さんや子どもさんに対してもよく𠮟ったようで、そんな歌が残っています。しかし佐美雄は、叱ったあとで「そうやってえらそうなことを言っている自分は

    どれほどのものなのだ」

という思いをいつも持っていたように思えます。この気持ちもわかります。人に何かを言ったあと、そういう自分は、と省みたとき、忸怩たる思いにとらわれることがよくあります。いつも自分が正しいと思っている人がうらやましくなります(そんな人いるのかな、いますよね)。以下、引用する歌はすべて『紅梅』(昭和二十一年刊)からです。
 原稿用紙を大切にせよと妻に言へ
  己が今日のしざまは何ぞ
ひょっとすると、奥様が書き損じの原稿用紙を捨てたりなさったのかもしれません。それに対して佐美雄は「もったいないことをするな」と言ったのでしょうか。ところが、翻って今日自分がしたことを思い出すと、

    偉そうなことは言えない

じゃないか、と思うのです。具体的に何をしたのかはわかりませんが、何か無駄なことをしたのでしょう。
 親と子の境を超えてよく叱る
  われは賢しき親にはあらじ
親子ならこれくらいにしておくべき、という節度を越えてまで叱ってしまう自分に嫌気がさしているようです。親としては失格。失格なのは私も同じですのでよくわかります。
 われはそも何の類(たぐ)ひぞ
  今も今いかり狂ひて子の頬を打ちぬ
明治生まれの佐美雄です。カッとしたら手が出るのですね。げんこつではなく頬を張ったようです。恐ろしいばかりの明治生まれの父親ですが、今もわが子を虐待する親がいるわけですから、それに比べればまともだといえるかもしれません(あくまで「比べれば」ですが)。しかし子の頬を張った佐美雄は「われはその何の類ひぞ(自分はどれほどのものなんだ)」とまたもや反省しないわけにはいかないのです。
これらの歌には、不器用で、短気で、しかも弱みを見せる人間臭さが描かれています。

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