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若太夫の復活(2) 

十代目豊竹若太夫が亡くなった直後に、四代目呂太夫だった人が八代目嶋太夫として文楽に戻り、まったくこの世界に入るつもりのなかった十代目若太夫の孫である雄治青年が三代目英太夫を名乗り、五代目呂太夫とともに三人揃って三代目竹本春子太夫(十代目の弟子。初名豊竹呂賀太夫、のちに豊竹松太夫、さらに春子太夫を襲名)門下になったのです。初代若太夫という人は美声で鳴らした人だったそうですから、春子、嶋、呂、英という揃いも揃って声のよく伸びる美声の太夫はどの人もゆくゆく十一代目を継ぐのにふさわしい人たちだったようにも思えます。しかし、春子太夫という人は春太夫の弟子名(春子太夫)を継いでおり、ひょっとすると将来春太夫の名を継ぐ約束でもあったのではないかと、これはまったくの当て推量ですが、思ったりしています。しかし春子太夫は春太夫にも若太夫にもなることなく、その二年後に舞台で倒れて心筋梗塞で亡くなりました。そして弟子になっていた嶋、呂、英は揃って

    四代目越路太夫

門下になりました。
「嶋」も「呂」も師匠譲りの名ですから、どちらかが将来若太夫を継いでもおかしくなかったでしょうが、嶋さんは長らく文楽を離れていらっしゃいましたから、やはり一番手は五代目呂太夫さんだったかもしれません。ところが当の呂太夫さんは、弟のようにかわいがっていた英太夫(六代呂太夫)さんに将来若太夫を継いでほしいとおっしゃっていました。一方の英さんは呂太夫さんのことを心底慕っていらっしゃって、仮に呂太夫さんがおじいさんの名を継がれても不満などお持ちにならなかったと思います。英さんは「自分は呂太夫兄さんの右腕であろう」と思っていらっしゃったそうで、この、いわば

    「兄弟愛」

はきれいごとでも何でもなく純粋なものだったと拝察しています(このあたりのことは『文楽六代豊竹呂太夫』に書きました)。
ところが運命は非情です。五代目呂太夫さんは肝臓を悪くされて、まだ五十五歳という若さで亡くなりました。将来文楽を背負って立つ人であることは衆目の一致するところだっただけに、文楽界にとっては大いなる損失でした。
私個人としては、ずっと春太夫という名前を復活できないものかと思っていて、それを呂太夫さんが継げないのだろうかと部外者の無責任な気持ちを持っていました。そうなったうえで英さんが若太夫を継げば嶋、春、若という大きな名前が居並ぶことになって、十代若太夫、三代春子太夫、四代越路太夫にとっても名誉ではないかと思いました。

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