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出家 

平安時代の貴族は、人生をはかなんだ時にしばしば出家しました。今なら命を絶つほどの悲しみに遭ったとしても当時の人ならこういう道が残されていたのですね。
寛弘六年十一月に一条天皇の第三皇子である敦良親王が誕生しました。その五夜の産養(うぶやしない)のとき、喧嘩が起こります。藤原道長の子能信が藤原伊成という人物を面罵したようです。能信は数え年の十五歳。生意気な頃です。一方の伊成もまだ十代の若者。賭け事でもしたのか、おそらくはつまらないことが原因ではなかったかと私は想像しています。「俺なんか、お父さんは道長だぜ」とでもいうような自慢もしたかもしれません。伊成の父親の義懐という人は政争に巻き込まれる形で出家せざるを得なくなった人で、この前年には亡くなっています。伊成は頭に来たらしく、持っていた笏で能信の肩を打ってしまいました。蔵人定輔という人物がすぐに伊成を庭に突き落とします。天気の悪い日で、伊成は泥だらけになったと思われます。冠は取れて髻を引っ張られて、能信の取り巻きたちにさんざんに痛めつけられます。
踏みにじられた伊成の耳には、能信おぼっちゃまの

    高笑い

が聞こえたかもしれません。
あまりの悔しさに、伊成は出家してしまいました。この出来事に関して、藤原道長は日記に書いておらず、知ったことではない、という態度に見えます。
出家の話を書こうとすると、さまざまな悲劇が残されていてキリがありません。伊成の例もほんのひとつに過ぎません。
天皇でも出家した人は多いですが、前述の義懐が出家したのも彼が仕えていた花山天皇という人が騙されて出家したために、そのあとを追った形だったのです。

    『源氏物語』

では、中年期の光源氏の周囲の女性たちが次々に出家していきます。その都度、光源氏は自分が取り残されていくような気持ちを持ったようです。若いころの奔放な恋愛が、その女性たちの出家という形で終わってしまう。そのことで彼はかなり落ち込んだようです。
今ももちろん出家する人はいらっしゃいますが、総理大臣をやめた人が仏門に入って世俗とのかかわりを断ったという話はめったに聞きません。それどころかますます増長する人もいるくらいです。
私も、最近ふと「出家したいな」と思うことがあります。誰にも迷惑をかけず、お金にも不自由しないなら、仏門に入って読経しながら創作をしたり講話をしたりしながら、自然に土に帰れたらいいな、と思ったりするのです。ま、無理なんですけどね。

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