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夏の歌 

夏は暑く、冬は寒いです。どちらの季節も歌など詠む気になれません(笑)。
というわけでもないのでしょうが、『古今和歌集』の夏と冬の部は歌があまりありません。夏は34首。冬は29首で、春の134首、秋の145首とは比較にならないくらいです。
「山里は冬ぞ寂しさまさりける人目も草もかれぬと思へば」(古今集・315・源宗于)のように冬枯れを詠んだものもありますが、冬の歌にはほとんど雪が詠み込まれます。そして当然のように「寒さ」「わびしさ」を感じさせます。  
  み吉野の山の白雪つもるらし
   ふるさと寒くなりまさるなり
     (古今集・325・坂上是則)
  わが宿は雪降りしきて道もなし
   踏み分けてとふ人しなければ
     (古今集・322・よみびと知らず)
  白雪の降りて積もれる山里は
   住む人さへや思ひ消ゆらむ
     (古今集・328・壬生忠岑)
それと同じように、夏もまた『古今和歌集』の時代の人たちはあまり歌の素材となるものを見いださなかったようで、ほととぎすと橘の花がその大半に詠まれています。
 その中でもとてもよく知られる(国文科の学生ならたいてい知っている)歌に
  さつき待つ花橘の香をかげば
   昔の人の袖の香ぞする
     (古今集・139・よみびと知らず)
があります。五月を待って咲く花橘の香をかぐと昔の人の袖の香がする、というのです。橘の実は「時じくのかくの木の実」(長い期間良い香りをさせる木の実)と言われ、実も花も時間を超えて変わることがないというイメージがありました。だからこそ、いつまでも変わらない、昔懐かしい人の袖の香に思われるといわれます。この歌はとても有名になり、「(花)橘の香」というともうそれだけで「昔の人」を連想するのが、平安時代に限らず、昔の

    文化人の常識

だったのです。和泉式部はかつて親密だった亡き親王の弟宮から四月のある日に橘の花を贈られます。すると彼女は即座に「昔の人の」という言葉が口をついて出るのです。亡き親王(昔の人)のことが思い出されます、というわけです。
ほととぎすも夏には欠かせない鳥です。「死出の田長(しでのたをさ)」という異名を持つ鳥で、冥府から来て農耕を勧める鳥とされます。鳴き声は人の叫び声の用だとも考えられ、「ほととぎす」という名も鳴き声に由来するとも考えられます。ちなみに最後の「す」は「からす」「うぐいす」と同じように鳥をあらわしているようです。
  思ひ出づるときはの山のほととぎす
   からくれなゐのふり出てぞなく
     (古今集・148・よみびと知らず)
のように、ほととぎすもまた昔を思い出させる鳥です。
夏は暑くて何もする気が起こらない、

    けだるい

季節です。
そんな時、昔をしのばせる橘の香やほととぎすの声に今を忘れて昔をしのぶことを古人はしました。
『源氏物語』「花散里」巻は五月(梅雨のころです)のある日を描いたもので、何らかの事情で「昔」を思い出させる三人の女性が登場します。折しも光源氏は何ごとも意のごとくにならず須磨に流謫する直前です。そんな忌まわしい「今」をほんのしばらく忘れて「昔の時間」に浸っているのです。
この場面に登場する麗景殿女御の妹はこのあとも「夏」のイメージで登場し、この巻の名前と同じ「花散里」と呼ばれ、光源氏がのちに建てる六条院の「夏の町」で暮らすことになります。

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