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小紋さんのはなし 

私にとっての偉大な文楽の人形遣いというと初代吉田玉男、二代桐竹勘十郎、四代豊松清十郎、三代吉田簔助、吉田文雀などの名前がまず挙がります。私はこの人たちの人形を文楽人形の雛型として見てきたのです。
しかし、私が文楽を見始めたころ、常に頭巾を着けた(つまり役がない)年輩の人形遣いさんがいました。吉田玉之助、桐竹小紋、吉田福丸という方々です。この方々は、それでも朝日座のころを中心に小さな役を遣っていらっしゃいました。私が出遣いをされているのを見たのは桐竹小紋さんで、『曽根崎心中』の田舎客(生玉でお初を引っ張っていく役)や

    新口村

の村の人々として歩いてくるだけの役に出ていらっしゃいました。もちろんあの役は「針立の道庵」とか「伝が婆」とか名前もついていますから、小紋さんのお名前もプログラムにはありました。
国立文楽劇場以後は次第にそういう小さい役もつかなくなり、「村の歩き」「軍兵」などとして、多くの場合はいわゆる「幽霊」で番付には名前が出ていました。ツメ人形は持っていらっしゃったのでしょう。
幽霊と言えば、福丸さんは、『熊谷陣屋』で敦盛の幽霊を(障子に映った影だけですが)障子の裏側で持っていらっしゃるのを、これは舞台の袖から見たことがありました。
玉之助さんはもう30年以上前に亡くなりましたので、私は楽屋でもお見かけしたことがありません。
このお三方の中で、私が唯一お話ししたことがあるのは桐竹小紋さんです。夏休み公演の第一部で、私は解説などもういいや、と思って楽屋にいたのです。すると楽屋の下足の所に小紋さんがひょろひょろと出ていらっしゃいました。何気なく頭を下げると向こうも手持無沙汰らしく軽く頭を下げられました。私がベンチに腰を下ろしていると小紋さんも横に来られ、そのとき私はひとつ思い出したことがあって話しかけたのです。
ここに以前書いたことがあるかもしれませんので簡単に言いますと、私の家の近所に

    桐竹紋十郎師

の贔屓の方がお住まいで、公演のたびにそのお使いとして小紋さんが来られ、チケットや手ぬぐいなどを持ってこられたようです。この贔屓の方というのは、私より70年は年長と思われ(子どもごころに、かなりのおばあさんに見えました)もちろん明治生まれ。おそらく四ツ橋文楽座によく行かれた世代でしょう。その方のところに行かれたご記憶がおありかどうかを問いかけますと、小紋さんがとても喜ばれて、「覚えてるがな。ちょっとあんた、今時間あるんか?」というようなことをおっしゃり、「第一部のチケットを持っていますが、もう解説は聞かなくてもいいかなと思って」というと「そんなもん聞かんでええがな、ちょっと話、しょう」とのことで、10分くらい思い出話をなさいました。
楽屋にはいらっしゃるものの、若い人形遣いさんと話をすることもなく、お客さんもそれほどおいでにはならないでしょうから、昔の話をするのは嬉しくて仕方がないという感じでした。
文化デジタルライブラリを覗いてみますと、小紋さんについた役としては2007年に引退される少し前の2005年5月東京国立劇場での「盛綱陣屋の榛谷十郎」が最後で、それ以前には前述の「新口村の伝が婆」「生玉の田舎客」のほか、「彦山・杉坂墓所の斧右衛門の母」「上田村の駕籠屋」「新口村の樋ノ口水右衛門」「壺阪・土佐町松原の茶店の嬶」「新口村の針立道庵」「新口村の八右衛門」などがありました。

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